たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

怒ってもイイ権利

2011-10-20 01:25:48 | Weblog
 なんでもかんでも意見すればイイってもんじゃ無い。自分の意見によって、どれほどどのように系に影響を及ぼすか、その度合いを考えないといけない。その意見が怒りに起因するものであるなら余計に。
 意見の内容や伝え方以前に、その意見の起因となる怒りを、表に出す権利があるのかどうかを、一度考えてみた方がいいんじゃないの?ってケースも多い。

 自分が、その人に対して、怒ってもイイ権利があるかどうか、ちゃんと考える必要がある。

 ≪だから、あれよね、K君がそのことについて、怒る権利は一切ないよね。≫
 『えー、まぁ、確かに無いけどさー、でも、一般論を言ってるだけなんだけどなー。一般論を言うのもダメなの?』
 ≪それはもちろんイイけど、それをするってことは、ただの一般になっていくってわけで、どんどん離れていくことになっちゃうよね。≫

 物理的に、機械的に、一般論で正しいことから外れてるから、だから怒ってもイイ、その具現化として、意見してもイイ、ってわけでは無いらしい。確かに。
 任意のことに対して常に一般論を言う権利は全員に存在しているけど、怒る権利があるかどうかは別で、一般論を言えば言うほど、その人とは離れていく。

 怒ってもイイ権利があるときって、じゃぁ、なに??

 一番わかりやすくて簡単なのは、お金が絡んでる時。(額にもよるけど)お金を払ってるのに、条件を達成できていなかったら、それは怒った方が良い。怒る権利がある。非常にわかりやすい。忘れがちだけど、すべての教育機関はこれに入ってしまうので、生徒は先生に怒る権利がある。
 あとは、全部の責任がこちらにある場合。責任を取るのは俺(ら)なんだから、勝手なコトするなよ、ってのは、非常に正しいことで、勝手なことをしまくられたら、それはもちろん怒る権利がある。教育に関してだと、さっきと逆。先生は生徒の行動に責任を持つことが多いわけだから、先生は生徒に懲戒する権利がある(教育基本法第11条参照)。っま、懲戒する権利と怒ってもイイ権利は、別なんだけどね(大きな意味で捉えて下さい)。

 他にも、集団に著しい損失を与えるような言動に対しては怒ってもイイと思っている。集団でひとつのモノづくりをするときは、これは必須で、どんどん意見を出しあってダメ出ししないと、高め合っていけない。
 ただし、この場合は、ダメ出しと同じ数以上、集団に対して、イイところを挙げないといけないと思う。じゃないと、イヤになっちゃったら、そこで終わりだから。

 っま、とりあえずは、こんなもんかなーって思うんですが、、あと、皆さん、何かありますかねー?、怒ってイイ権利がある状態。

 ずーっと期待させておいて、それを裏切られたりしたら、それも怒ってイイんですかね?俺は厳密には違うと思うけど、こういうのでめっちゃ怒るよね、みんな。
 その期待が、具体的に何かの言葉になっていたり、何か即物的な事が寄与してるんなら良いけど、ファジーな部分で成り立っているなら、怒ってはいけないと思う。期待する方が悪いし、期待したかったなら、それを具現化する言葉を求めなかった方が悪い。

 これも怒ってイイなら、演技されたら、怒ってイイことになっちゃうし。

 ちなみに、自分自身に怒るのは、オッケーです。どんなことでも。なので、同様に、自分を含めた2人で形成してる空気そのもの(2体系そのもの)に怒るのもオッケーだと思います。集団のケースと似ていて、これも、その2体系をその後も持続させたいなら、怒りと同じ数だけ、嬉しさや喜びや楽しさを確認し合わないといけないですけどね。
 だけど、個人だけに怒るときには制約が色々あるってこと。難しいね。

 あ、でも、一般論を言うのは常に自由だよ。離れていくの覚悟って、知ってるならね?
 …ってコレも自分に言ってるな。笑
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする