たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

主体的に楽しめるように

2011-10-14 03:19:47 | Weblog
 やっぱり、誰かの価値観を変えるってことは、なかなか難しいことだなって思う。

 多角的に考え、あらゆる方法を使って、その中で感情も含めた論理性を確実にしていっても、数学みたいに、ひとつでも間違ってしまえば、その解に辿りつかない。ホントに、ひとつも間違っちゃいけない。
 何かについてホントの意味での主体性を持たせてあげたり、楽しませてあげたり、そっち側の価値観のほうが即物的なことよりも大事なんだって、価値観を変えさせようとするためには、即物的な価値観のなかで成功させながらも、ガチで楽しませてあげないといけないから、どっちも出来ないといけないんだ。

 「ほらー、またなおってない。」
 『あぁ。なおそうとはしてるんで、言い続けて下さいね。人には七回って言うじゃないですか。』
 「なんで、そー、上からなの?」

 表面的な事であっても、誰かを変えるなんてことは難しくて、他人には七回、で、7回くらい相手に同じ言葉を繰り返さないと伝わらないと思っていた方がイイ。特に、それも、立場が対等だったり、自分のが下であるときにはね。
 (恣意的になれてしまうような環境であるなら、常に自分に疑問を投げかけていかないとリスクが大きいから、またそれはそれで、難しいんだと思う。基本、日本人は上の人達に逆らわないし、それを善としてるからね。)

 ただ、即物的な価値観から脱させる、というのは、それ自体に、今の即物的な価値観の中でも有意でないといけないし、連続的に価値観は変化するから、7回言えばイイってもんでもない。
 自分自身が即物的な成功+楽しんでる姿をもってることは、最低ライン、前提としてあって、それを人に享受しながら、引っ張っていかないといけないのが、難しいところだ。

 リードボーカルは自分で空気を創れ!、って前にも書いた気がするけど、それと似たようなもんで、ひっぱりながらその人にイイ想いをさせて、楽しませながらも、それが稀少価値の高いモノだってわからせるようにちょっと押しつけて、でも、優しく、そっちのがイイっしょ?、って伝えないといけない。
 そして、このなかの、一個も間違ってはいけないのが、難しいところ。

 でも、難しいからこそ、そういうことが楽しいんだと思うし、結果だけ(ばかり)を求めるよりも、そっちのが、頭だけでも使うし、心も使う。心地の良い疲れを味わうためには、ずっと継続して行動していく、それくらいの努力が必要なんだと思う。

 諦めちゃダメだ、ってよく言うけど、ホントの意味で、最後まで諦めない、がいかに難しいか、知る人は少ない。

 『だって、それだったら、それで満足しようとしちゃったら、ただの普通じゃん?普通で満足しちゃだめでしょ。』

 いま、自分は普通なんかよりもずっと下だから、そんなこと自分には関係ないって思ったりした?
 まさに、その価値観を変えたいってことね。
コメント
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