たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

最終目標と目先の目標と、あなたは、どっちが大事??

2009-10-26 03:16:24 | Weblog
 俺は、目的がないことに、時間を使うのが、一番嫌い。頼むから、みんな、俺に、無駄な時間を、強要しないでくれ。
 んでね、こーゆう注意しなきゃだから、言葉って非常にめんどくさいんですが、、「俺にとって無駄な時間」という意味じゃない。総体的に考えて、誰も得しないような無駄なこと、もしくは、俺がいなくてもその目的が達成されそうなこと、ってのは、強要しないでください、お互いに、時間の無駄だし、って意味。もうひとつ、目的がないって言ったけど、何も大それたことではなくて、目的が「楽しい」みたいな単純なモノで全然良い。
 とにかく、なーんにも目的ないのは、いや。もしくは、その目標が、俺が生きている間には、到底達成されないようなモノは、なるべく控えたい。

 さて、ある程度、大きな仕事なら、どんなことでも、最終目標がある。最終目標の価値に差はあると思いますが。。
 俺は理系なので、理科系しかわかりませんが、思いつく限りやってみましょう。(実は、大学入りたての頃、一度、ふざけて、各学部学科の最終目標書いたんですが。。)
 高校の範囲で考えてみます。

 物理学…すべての自然現象について、一本の方程式で記述できるようになること。(正確に言うと、ミクロからマクロまでのすべての自然現象についての、各オーダーで成り立つ方程式について、きちんと関係性が説明でき、それぞれについても正しいと示すことが、理論構築され、それが実験的にも示せるようになること。さらに、それらを統合して、結果的に、一つの方程式になるなら、文句無しの、終了。)

 生物学…生物とは何か?が明確にわかるようになること。(生物とは、生命現象とは、何をもって定義するのが良いのか?が、明確になること。そして、物理法則もしくは化学反応との決定的な相違があるならば、そこにどのような作用が働いているのかを解明すること。)

 っと考えてみると、化学の明確な最終目標って、よくわからん。勉強が足りないせーもあるかもしれないけど。。化学は、物理学の掴みにくい部分、つまり、ミクロすぎる、もしくは抽象的すぎる部分を、日常スケールの手頃なオーダーまで引き上げたり、具体的な例にあてはめたりしているに、過ぎない気もする。。モルの定義も、化学反応についての手頃な原子の数、と決めているに過ぎないし、その化学反応だって、たいていは、量子力学や電磁気学で説明がつく。
 例えば、配位子場理論やFriedel-Crafts反応など、無機化学や有機化学などで特有に思われるものでも、基本は量子力学などを基礎とした近似法や法則化であり、応用しているに過ぎない気がする。

 以上をまとめ、化学の最終目標を書くなら、

 化学…多少厳密さを欠いても、物理学で扱う系よりも、より我々にとって身近な系に対して、物理学もしくはその近似を応用することによって、もしくは実験的に確認することによって、目に見えるほとんどの自然現象について、まとめること。

 であるのではないか。。

 物理学→抽象化(一本化)
 化学→具体化(多様化)

 ってんで、話がすっきりつくな。そして、生物学が、どちらかと化学に近いのも、なんとなくわかりますね(化学を、さらに具体例である生体にあてはめてるんだから、そりゃ、そっちの気質が強くなるよね。ホントは生物学自体は抽象も具体も、どっちも大事なんだけどさ)。
 いつも通り、地学は無視(笑)。。

 目的がない、典型は、「数学」だ。数学は、自然科学の分野で唯一、自然現象を記述する道具そのものの役割しかしないものだし、定義するのも自由。
 物理学の場合は、それまでの内容がどうして正しかったのか、どうして上手くいっちゃってたのか、を言わない限り、新しい分野に踏み出せないが、、数学の場合は、違う。まったく新しい数学の一分野を作っても、流行るか流行らないかは分からないが、正統的には、認められる。

 でも、もちろん、定義すりゃーいいってもんじゃなくって、定義するには、意味をもたせなくてはいけない。
 定義だから絶対覚えなきゃ、ってのは、ちょっと安易だ。その定義を導入する必然性を考えれば、定義すら覚えなくてイイシーンもある。
 しかし、目的を持って、数学者さん達が、研究を行っているとは、とても思えない。純粋に、理屈フィールドが好きな人しか、無理だと思うな。
 パズルくらい目的があれば僕も好きになれるんですが、「パズルの目的よりも目的のない、非常に厳密な理屈争い」ってのが「数学」ですから、僕は専攻できません(完全に、誰かさんへの攻撃ですけど(笑))。

 まぁ、究極までいったとして、算術というモノによってのみ、この世界が支配していると仮定するなら、数学こそ、自然科学の真髄なのかもしれませんが。。僕は、もっともっともっと(「数学→物理→化学→生物」分)、目先の結果主義ですね。


 自然科学を知っていく術は、実験にある、と言われる。いろいろな自然科学の方程式は、自然現象に上手く適応させるように記述していってるだけ。だから、「実験は理論に先立つ」などと言われる。果たして、本当にそうだろうか??
 俺は、あんまり、そうは思わない。

 それは、実験と、自然をそのまま観察すること、を混同している。
 確かに、最初の最初は、自然をそのまま観察し、それを方程式化したかもしれない。その意味では、「実験は理論に先立つ」。
 だけど、今や、理論が提唱されてから、その後で、実験で、その理論に合うように装置を組んで、検証されることが多い。どちらかというと、今までの理論からの推論によって、新しい理論が確立されて、実験検証ってのが主流なんだから、「理論は実験に先立つ」んじゃないのだろうか。
 ちなみに、数学は、この実験データにあたる、紙と鉛筆でごちゃごちゃやった試行錯誤というモノが、論文や教科書として発表されることは、ほとんどない。これも、数学の特質の一つである。

 理論に合うように、系を設定し、自然から特異的に物質等を抽出する。
 ちなみついでに言っとくけど、だから、薬品ってーのは、危ないのだ。
 1つ1つの薬品は、自然界と同じ割合くらいなら、なーんにも怖くない。一酸化酸素だって空気中にどれくらい少ないかを考えてほしい。だけど、人為的に、それだけを抽出してるから、めちゃめちゃ危ないのだ。 
 お酒やお薬なんてーのは(お薬はダメよぅ)、感情を前にだしてくれるようなモノと普段は勘違いしてるけど、逆だ。人間が頭によって作り出した産物を用いた、頭に依る規制でしかない。だって、お酒飲むと、頭や心のどっかに「お酒飲んでるから、ここまでやっちゃっても、大丈夫だろぅ…!」っていう思考が入るでしょ??それに、対して「自然体になっちゃって…(笑)」って突っ込んだりするけど、むしろ、機械的で不自然な状態だよね。

 話がズレまくったけど、戻すと、理論から実験検証っていうのは、目先の目的がなんだか、すげー曖昧になる。だって、その作業って、最終目標から、だいぶ遠いと思わない??
 特に今の研究は(っと書いたが、ほとんどの理学系の研究で、同じようだと期待する)…
 『作為的に物質を持ってきて、こーゆーような複雑な状態を作ってやると、こんな不思議な現象になるはずで、方程式はこんな風になると考えられます。だから、実験屋さん、この状態、複雑ですけど、作ってくれませんか??』
 「えー、なんて、めんどくさい。。しかも、それ意味あるの??って、それ言っちゃおしまいか。。やりますよ、それが研究だから。。」 

 その内容も、手法も、行為も、分野も、とてもじゃないけど、最終目標に近いとは思えないのだ。どーしても、目標のない、一貫性のない、積み木をしている気がしてならない。
 そりゃ、そういうのは必要だと思うし、大事だ。だけど、もっともっと、大切なことをやりたい。それこそ、同じだけ頑張るなら、もっと価値のあることがある気がしてならない。

 だから、大学院での研究は、遺伝子治療って明確な目標を入れることを要求したんだけどさ。

 しかも、物理学をはじめとする、理学系の自然科学の最終目標って、「頑張る」ことの全否定だって、気がついてた??「意思」みたいモノの明確な記述化なんてできたら、つまんねーじゃん?
 例えるんなら、遅刻ギリギリっぽいから、電車の乗り換え案内をケータイで見て、間に合わないことを知ってしまって、頑張って急がない感じ(次元が全然違うけど)。
 
 こーして、理学部出身の俺は、工学、特に命や健康に関わる工学にこそ、価値があると、見出してしまったのだった。
コメント (2)
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