たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

2種類の優秀

2009-07-09 02:48:40 | Weblog
 今日で、院試が終わるまで、研究室での仕事はない。その分、ここ1ヶ月くらい、案外、研究室のゼミに追われてた気もするが、っま、他んとこよりは、マシなんだろうな。。
 前期最後の卒研ゼミは、何かと『…知識ではない…』っと、俺に仄めかすようなシーンが多かったと思う。もちろん、それに至る過程でも。物理が『知識』ではないのは当然なんだけど、でも、それでも改めてその大切さを確認した。

 例えば、物理学の専門用語を関連性のみで覚えているのは、物理をやっていないのに等しい。何何に関して、こんな名前の実験がある、とか覚えていても仕方ないってわけ。むしろそんな名前はどーでもイイ、どーいう測定で、どういう系で、どういう値を変化させて、その物理量と関連性を持っているのかを知っているかが大切。だから、この例だと、同じ暗記っちゃー暗記なんだけど、全然違う感じがしてしまう。

 物理的思考は、定量的と定性的に分けられる。どっちが大事とかではない、どっちも欠かしてはいけない。ただ、状況に応じて、どっちを大事にするかによって、話というか理解というかが、スムースに行く時がある。
 一般の人(主に自分の生徒である高校生)には定量的な計算がまずきちんとできることが大切だと教え、その上で定性的なことを確認しに行く。理系(主に大学の友達)には定性的な説明を考えていくことに重点をおいて、定量的なことは勝手にやってもらう。こーすると、経験的に、スムースなのだ。
 定性と定量。この二つの考え方があって、初めて物理学が成り立つ。それは、知識というものを否定するくらい強い、モノだと思う。

 だから、なんとなく、知識ではない。。だから、俺は、物理学の実力を『気』で表す(笑)。これは、知識面をすべて抜いた実力ということだ。こーゆー風に定義されては、熟練者でも不安なところだと思う。

 物理学っと限定したが、自然科学のほとんどの科目は、こんな風に言えると思う。
 つい昨日、物理学だけでは最高峰に到達できないことに気がついた(もちろん、制度的には物理学のみでいける)。やはり、化学と生物学もきちんとやらないと、確実に掴めないことがわかった。そんな中、前からうすうすは感じていたが、生物学や化学に関しても、同じように感じるのだ。『知識ではない』っと。

 もっともっと、どんどん拡張していって、いろんな事に、『知識ではない』っと言える。
 だが、最後の最後で、ビックリするくらいの手のひら返しをしておこう。

 『知らない』ということが、戦略の上では、一番怖い。

 そう、どんな分野でも、実質的に、本当の実力のみによって得られるモノなど、さほど多くはない、ってことを、お忘れなく。
コメント
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