桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

挑戦状

2008-07-19 | Weblog
検察庁から、布川事件への挑戦の意志が漏れて来た。どうやら最高裁判所に特別抗告をするらしい。出来なかろうと思っていたので、本当に抗告するのだとしたら、呆れると言うか、笑っちゃうと言うか、こうでなければ日本では検察官が勤まらないのかも知れないと、可哀相にもなった。
重大な事実誤認を理由に特別抗告をするらしいけど、無実の証拠を、今でも隠して俺たちを犯人にしておきながら、良くやるよなあ!
検事総長の樋渡利秋、東京高検検事長大林宏、どっちも俺と同じ世代。俺が布川事件の犯人にされたとき、この検察トップとナンバー2の二人は大学生かな。特別抗告の方針は、上層部で決めたとの情報だから、二人の意志も明確だ。樋渡、大林の二人は、俺たちにした検察の不正より、検察のメンツを守る意志を示した。
我が人生に重なる歳月を検察官として生きた二人が、証拠隠しに口を拭って検察庁の犯罪行為を恥じともせず、我々を犯人にするとするために、更に理不尽な主張を重ねると言うならば、この正義に反する二人の悪意が日本の検察の実態であることを、日本全国で話し、訴えて、裁判員制度においても信用の出来ない検察庁の姿を、俺はひたすらに語るだけだ。いや、俺が語るまでも無く、社会の常識は、俺たちの闘い続ける姿を見て、検察庁の卑劣さと汚さを理解してくれるに違いない。41年にわたる闘いの月日は短くない。その間、検察庁がしたのは、俺たちの無実の証拠を隠すことだけだった。
樋渡さん、大林さん、俺は盗みをしたが、アナタたちのように醜い開き直りはしていない。アナタたちに正義や公正を求めても不可能だと判ったが、アナタたちが国民に支持されるのか、俺たちが支持されるのか、これからの俺の行動を見てるがいい。必ず後悔させてやる。
日本には沢山の冤罪がある。沢山の仲間が獄中で、社会で苦しんでいる。その仲間の力になれるような決定を最高裁で得られるように、俺は全力を尽くす。
樋渡検事総長、大林検事長、アナタたちは、布川事件の証拠の総てを見てるよね。不見当、見当たらないなどど、明らかな嘘を言って隠し続けてる証拠は、何を示し、何を語るのか、総てを知ってるはずだよね。
証拠隠しの犯罪行為を国民が許すのか許さないのか、アナタたちが挑戦状を出すならば、俺は、アナタたちの挑戦状を胸を張って受けるよ。

検察庁の馬鹿さ加減

2008-07-18 | Weblog
昨夜のビアパーティーでは歌を唄った。レコードは何時出すのかなどと言われ、ご機嫌で帰った。
昨夜も熟睡して目覚め、パソコンを開いたら、検察庁が特別抗告をする方針だと、共同通信のニュースとして書かれていた。
呆れるよね。盗人猛々しい、って言葉があるけど、正に検察庁の方針は、それだね。
今度の決定は、事件当夜に被害者宅を訊ねようとした女性の証言を正しく評価した。当たり前だ。渡部昭一みたいに話すたびに違う証言はしていない。なのに、彼女の些細な食い違いを強調して非難してる。馬鹿な話だよ。渡辺昭一の証言、裁判員なら、検察官のようには言わない、絶対にね。
最高裁、怖いよね。放蕩息子を庇う馬鹿な親に似て、検察庁の理不尽に平気で加担する無神経を持っている。そこを頼りに特別抗告をするのだろうが、高裁で何もしなかった検察庁に、何ができるんだ。
俺は日本中に、検察庁は信頼できない集団だと、この連中の言葉を疑うことから裁判は始まるのだと、裁判員制度に参加する人の常識になるように、これからも追及を重ねる。全国へ訴える。
樋渡検事総長、覚悟してやりなよね。

変化

2008-07-16 | Weblog
暑い!
俺は暑さが大好きで、こんな日は走りたくなるんだが、今日も、少し疲れを感じている。
今日は三多摩守る会担当の高検要請。俺も参加して、一言話してきた。間違いは間違いと素直に認めた方が国民は信頼するんではないかと、極めて穏やかに。
今日の参加者は10名。
東京高裁の決定は重い。今朝のテレビ朝日番組での話、面白かった。テレビに出てシタリ顔でコメントを話す人でも、裁判は総ての証拠を出して審理されてると思ってる。そうだよね、誰だって、そう思うが、違う。甘いね、シャバ人は。
俺は語る、叫ぶ、検察庁なんて犯罪者集団だって。俺にした検察官の行為を詫びるまでね。来年の裁判員制度、どうなるか、俺は命を掛けて活動するだけだ。
勝ったのは大きいね。俺はゴキブリの足音で目覚めていたが、これからは熟睡できるかも知れない。昨夜は、ホントに良く眠れた。

勝った!

2008-07-14 | Weblog
高裁での決定は棄却。検察の抵抗は退けられて、再審開始が維持された。
当たり前のことだが、嬉しかった。
まだ決定内容は読んでないが、土浦の決定よりも進んで認定したことも増えて完勝だった。
これも当たり前のこと。自白テープを改ざんして良いはずもない。これで勝てると思う検察が異常なのだ。まだまだ検察は沢山の証拠を隠している。
俺は闘いの手を緩めるつもりはない。証拠を隠しをして冤罪を作る体質を改めるまで、やり抜く。
検察庁のお偉方に言いたい、早く真人間になった方がいいよ。ウソは汚い、証拠を隠しは汚いよ。

あつ~い!

2008-07-12 | Weblog
自宅の撮影があったりするけど、また伸びてきた草が気になり、朝から草刈りをした。日射しが強くて、水戸から恵子さんが来たときには汗まみれ!
シャワーを浴びて、利根町宣伝のために松島さんの事務所へ。
総勢14名が集まり、約2千枚を配り歩いた。ホントに暑い中、帰った人の顔は汗に日焼け!
それから、松島さんが作ってくれていたカレーを食べ、会議で東京へ向かう組と別れ、俺たちは墓参り。
夏草が伸びて、墓は凄い状態だった。
墓参りにはNHKと朝日記者、さらにもう一組の撮影が同行した。俺の大嫌いな、「もう一度、お願いします」を、何度かやられるのには参った。ありのままが一番と思う俺には、あれが一番の苦手だ。
必ず勝つの確信は、明後日の勝ち負けに関係なしに揺るがない。まだまだ隠された証拠が山ほどある布川事件だ。これからが本当の闘いなのだ。
墓参りから戻ると、恵子さんは軽い熱中症。俺はシャワーを浴びて、東京の会議に。
まだ取材もある。
後2日だ。

渡辺への思い

2008-07-10 | Weblog
布川事件には、二人の渡辺がいる、一人は、我々を事件現場前路上で目撃したと称する渡辺昭一。今も布川に住み、クリーニング業を営んでいる。もう一人は、我々を犯人にするために証拠を改ザンしたり、でっち上げようとした渡辺忠治。元捜査指揮者で水戸赤塚に住んでいる。
俺は、昭一を恨んでも怒ってもない。彼は病人。スナックで会ったエピソードは書いたが「俺は警察に見たと言ってない」には参ったね。
先日、昭一を訪ねた記者には「見たから証言した。言いたいことが沢山ある」と話したそうだ。だから記者に言ってあげた「目撃状況を聞かなければダメ」と。昭一は、何度かの証言の度に、新しい目撃状況を言った。所詮はウソ。同じ話は出来ない。あんなデタラメ話を信じるのは有罪にするためには手段を選ばない警察や検察だけ。信じる方がバカだ。昭一に言うことなど、無い。死ぬまでホザイテいればいい。
渡辺忠治に付いての思いは、少し違う。恨んではいないが怒ってる。俺たちを犯人にするために捜査指揮者だった渡辺忠治が行った不法行為は枚挙に暇が無い。
自白テープを改ざんした。自白調書を改ざん、編集した。その行為を隠すために、更に取り調べ状況を示す捜査報告書の改ざんなどをした。状況証拠を作るために布佐駅員の証言調書の日付を改ざんし、看守勤務員に俺の独り言なる犯行告白聴取記録を偽造させた。まだある。
取り調べ時間を短く改ざんして裁判所に提出した回答書にも、忠治の意思があったに違いない。
極め付けは物的証拠をでっち上げる画策までしたことだ。残念ながら今のところ、自白調書の改ざんと、この物証のでっち上げに付いての裏付け証拠は無い。無いけれども、現に俺は早瀬から「便所の桟を持って、どう壊したか説明してみろ」と言われている。あのとき、昭和42年11月3日だったか、手に取っていたらどうなったのか!その後の11月下旬、警察は便所の桟に顕れた指紋の鑑定をして、その鑑定書を裁判でも提出した。もし早瀬の言うままに桟に触れていたならば「桜井の指紋が出た、物的証拠だ」とされてないか!今考えるても冷や汗モノ。危うかった。恐らく裁判で取調官たちが行った「自白強要は無い、長時間も調べない、テープ吹き込みは一度」など、限り無い偽証にも、忠治は深く関わっていよう。
俺が渡辺忠治に言いたいのは、ただ一つ。自分のした行為の総てを話して欲しいということだけだ。
早瀬四郎も死んだ。証拠隠しの元凶だった吉田賢治も死んだ。渡辺忠治も、自分がした犯罪行為に口を閉ざしたまま死んで行くのだろうか。
決定まで後4日。

弁護団事務局会議

2008-07-08 | Weblog
今日は決定前の事務局会議で、当日の打ち合わせだった。
会議場にテレビ朝日と日本テレビのカメラが入り、記者もいて、段々と近づいて来た感じになって来た。
会議途中から共同通信のインタビューを受けて、終わってから日本テレビへ行っての取材になった。
聞かれるたび、話すたびに勝利の確信は深まる。
ある記者の曰く、負けたときの方が記事としては大きな扱いになりますと。
そうだよね、証拠を改竄した事実が良しと見逃されることになるのだから、常識的に勝ったときよりもニュース価値はあろう。
面白くなってきたね!
まあ勝つだろうが、負けたときには、より強烈なバックアップとしてマスコミの力を借りられるとなれば、裁判員制度の始まる中、証拠隠しが許され続けるはずも無く布川事件の勝利の日は、何れにしても遠くは無いだろう。
ワクワクする思いの今日は、これから水戸へ行っての会議だ。

前祝い

2008-07-07 | Weblog
布川事件には沢山の支援者がいるが、地元となれば、そうは多くない。事件の地元で冤罪を主張し、その支援をすることは、なかなか大変なことなのだ。
その地元の支援者に我孫子市議の松島洋さんがいる。松島さんは利根川を挟んだ隣町布佐に住まわれ、もう8期も市議をされている。冤罪事件の支援をする議員は、いわゆる革新系にはいるが、まず保守では少ない。しかし、松島さんは「これは正義の闘いだから」と言い、バリバリ保守の支持者や関係者の思惑を押さえて、長く支援をして下さっている。
時々自宅に招かれ、奥さん・明子さんの美味しい料理や自らの手料理を食べさせてくれる。
昨日も、俺が足利事件集会から帰るのを待って下さり、支援者の二人も交えて一杯やった。「前祝いで!」との言葉で始まった飲み会は、松島さんが自ら作った取り立ての夏野菜や穴子、マグロの煮物など、テーブル一杯に並んだ食べ物。シャンパンにビール、焼酎。美味かったなあ!
人の幸せは、どれだけ人様の思いを頂けるかに尽きる。松島さんの思い溢れる歓待を受けて、冤罪人生とも言える我が人生の幸せを、改めて感じた夜だったなぁ。

足利事件

2008-07-07 | Weblog
昨日は池袋で開かれた足利事件の支援集会に参加した。
DNAの一致を根拠に有罪にされたが、この鑑定には誤りがあった。だから、再鑑定を求めて再審請求をしているが、宇都宮地裁の池本寿美子は、その再鑑定を拒否して申し立てを棄却した。日本テレビの「バンキシャ」という番組が判決批判を放映しているから、きっと見た人も多いことだろう。
おかしいよね、裁判官って。再鑑定をして一致すれば犯人、一致しなければ無罪、簡単な話なのに拒否するなんて、非常識なのか馬鹿なのか、理解しがたい。
この集会にはテレビ朝日が取材に来ていた。他にも読売とNHK記者が2名。今、冤罪に対するマスコミの関心の深さを再確認した。
他の冤罪事件関係者も来ていたが、皆さんは茨城の波崎事件というのをご存じだろうか?保険金目当てで青酸カプセルを飲ませたと言う事件。何も証拠がないことは、他の事件と同じ。布川と同じことが一つあって、一審で有罪とした裁判官が、両方共に花岡学という男だった。波崎事件の犯人にされた富山さんは、花岡が死刑を宣告した時に「人殺し!」と怒鳴ったそうだ。残念ながら富山さんは5年前に獄死している。花岡も、とっくに死んでいるが、もしあの世があるならば、きっと富山さんと花岡の立場は逆転していることだろう。富山さんは無罪に、花岡は人殺しとして裁かれているに違いない。
多くの仲間のためにも、来る決定は勝利したいと言う思いが強くなった一日だった。

2008-07-06 | Weblog
昨日は、読売新聞の取材があった。決定前の心境などを聞かれたが、話すというのは自分の中にあるものを確認することかも知れない。社会に帰っての月日を含めて、自分自身の歳月を確認するような思いだった。勿論、勝つ確信の深まる時間でもあった。質問する記者が「抗告をした検察が、殆ど何もしなかったことについてどう思うか」と言う。誰もが検察の酷さを判っているのだ。まあ裁判所は馬鹿息子検察のバカ親的存在だから、何をどう救いの手を出すか判らないけど。午後は茨城守る会の作業日だった。予定では4名ほどでやるつもりだったが、倍の参加で、5時前に終わった。
その後、川上家の6名、花山家の4名を含めて、総勢12名で、連れ合いの実家へ蛍を見に行った。
今年は蛍が多いとの話で行ったが、考えていた以上の蛍が見られた。子供たち5名も喜んでいたが、大人たちも満足した。
暗闇に飛びかう沢山の小さな光、心が優しくなると、思わず言ってしまったほどで、初めて見る美しさだった。
もうすぐ決定。確信と余裕を持って、穏やかな気持ちで迎えられそうだ。