桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

渡辺への思い

2008-07-10 | Weblog
布川事件には、二人の渡辺がいる、一人は、我々を事件現場前路上で目撃したと称する渡辺昭一。今も布川に住み、クリーニング業を営んでいる。もう一人は、我々を犯人にするために証拠を改ザンしたり、でっち上げようとした渡辺忠治。元捜査指揮者で水戸赤塚に住んでいる。
俺は、昭一を恨んでも怒ってもない。彼は病人。スナックで会ったエピソードは書いたが「俺は警察に見たと言ってない」には参ったね。
先日、昭一を訪ねた記者には「見たから証言した。言いたいことが沢山ある」と話したそうだ。だから記者に言ってあげた「目撃状況を聞かなければダメ」と。昭一は、何度かの証言の度に、新しい目撃状況を言った。所詮はウソ。同じ話は出来ない。あんなデタラメ話を信じるのは有罪にするためには手段を選ばない警察や検察だけ。信じる方がバカだ。昭一に言うことなど、無い。死ぬまでホザイテいればいい。
渡辺忠治に付いての思いは、少し違う。恨んではいないが怒ってる。俺たちを犯人にするために捜査指揮者だった渡辺忠治が行った不法行為は枚挙に暇が無い。
自白テープを改ざんした。自白調書を改ざん、編集した。その行為を隠すために、更に取り調べ状況を示す捜査報告書の改ざんなどをした。状況証拠を作るために布佐駅員の証言調書の日付を改ざんし、看守勤務員に俺の独り言なる犯行告白聴取記録を偽造させた。まだある。
取り調べ時間を短く改ざんして裁判所に提出した回答書にも、忠治の意思があったに違いない。
極め付けは物的証拠をでっち上げる画策までしたことだ。残念ながら今のところ、自白調書の改ざんと、この物証のでっち上げに付いての裏付け証拠は無い。無いけれども、現に俺は早瀬から「便所の桟を持って、どう壊したか説明してみろ」と言われている。あのとき、昭和42年11月3日だったか、手に取っていたらどうなったのか!その後の11月下旬、警察は便所の桟に顕れた指紋の鑑定をして、その鑑定書を裁判でも提出した。もし早瀬の言うままに桟に触れていたならば「桜井の指紋が出た、物的証拠だ」とされてないか!今考えるても冷や汗モノ。危うかった。恐らく裁判で取調官たちが行った「自白強要は無い、長時間も調べない、テープ吹き込みは一度」など、限り無い偽証にも、忠治は深く関わっていよう。
俺が渡辺忠治に言いたいのは、ただ一つ。自分のした行為の総てを話して欲しいということだけだ。
早瀬四郎も死んだ。証拠隠しの元凶だった吉田賢治も死んだ。渡辺忠治も、自分がした犯罪行為に口を閉ざしたまま死んで行くのだろうか。
決定まで後4日。