桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

特別抗告書批判第一弾

2008-07-29 | Weblog
「大したことは書いてないが、一通りは書いてある」、これは弁護団から届いた特別抗告書に付いての批評の第一報だった。
なるほど、今までに主張したことばかりだが、一通りは書いてあった。これまでに検察批判で書いたことばかりで、もう書き重ねることも無いとは思うが、検察が一通り主張するのだから、桜井は反論できないなどと、検察庁の得意な邪推と曲解を受けるのも嫌だから、俺も一通りの反論をしよう。
今度の抗告書の中で、一点だけ、新説の主張がある。例の、被害者方を訪ねようとして二人連れの男を目撃した女性・Mさんの目撃について「同人が通りかかったとする時間帯に幅がありすぎるため、その間に被害者方を相互に無関係の2組の2人連れの男が訪問したことはないといえる証拠、言い換えれば、渡辺がMと同じ2人組の男を目撃したとの証拠は皆無なのである」と言う。つまり、渡辺とMさんの目撃した2人連れは違う二人組だったと言うわけだ。
さすが検察官、なかなか言うよね。
実は、第2次再審を提出する前、この件は話し合われた。吉田検事のMさんに対する調べを検討すると、最初は俺たちが被害者宅に到着する時間に合わせようとして、被害者宅前を通過した時間を遅らせようとしている。しかし、これが不可能と判ると、今度は曖昧にしていることが判る。曖昧にして、Mさんの証言が問題になったら、渡辺とは違う二人組を見たとしたかったのではないか、と弁護団は解析していた。
あのときの解明通りに、大林高検は言う。
これは常識で判断して貰うしかない。嘘発見器の記録紙を洪水で流失したと主張する警察、アナタは信じられますか?時間的に差異のない空間で、同じように二人組が被害者宅を訪ねて、同じような行動をしたと言う主張など、Mさんの証言を無視できなくなった窮余の策でしかない。
皆さんには、ぜひ布川事件のホームペイジにある渡辺証言批判で、彼の話を知ってください。今回、高裁決定前に取材に行った新聞記者に対して「俺は信念で話している」と語ったそうだ。信念?確信じゃないんだよね。もし皆さんが「目撃状況を話して下さい」と言えば、彼は嬉々として、41年目の新事実を交えて話すことだろう。
渡辺とMさんの目撃者対象者を違った二人組とする検察官の主張には矛盾がある。
「同人が通りかかったとする時間帯には幅がありすぎる」と言う部分は嘘。絶対に幅は無い。彼女は、その後に訪ねた布川東のMさん宅で見ていたテレビでの「NHKニュース解説、7・30というテロップを見た」と言う証言が動かないのだから、この時間から逆算すれば、彼女の被害者宅前通過時間も明確なのだ。それを「幅がある」ごとくに言い、さも彼女の証言が信じられないもののごとく言う検察は、本当に汚いと思う。
Mさんの証言を当たり前に評価した高裁決定に抗して高等検察庁は、取り敢えず「渡辺とは違う2人組を見た」と主張し、更に、彼女の証言を糾弾する。
先ず、「(彼女が)杉山を認識しうる程度の面識あったと認めることはできない」と言う。
バカだね、大林さん。杉山とMさんは、ある事情で濃厚な面識があったのさ。その面識には、杉山の同級生、小泉が関連している。今でも小泉は生きているから、いくらでも杉山と彼女の面識は証明できる。彼女の息子、Tさんが語る以上に、彼女は杉山を知っていた。何時でも証明できる話だ。
続いて、「目撃した時刻にしても、「道路側にいた男」の「容貌」についても変遷しており、一定しない」と非難する。これは、既に書いたところで、吉田賢治検察官が、彼女の証言を、少しでも我々の「自白」に合わせようとした努力が、そういう過程を示しているに過ぎない。検察官が、今更「証言の変遷」などと主張するのは、天に唾する行為じゃないのか。
彼女が、41年が過ぎた今でも、現場前に立っていた男の名前を明言することは、前に書いた。この件について「(名指しされた)Kの平成16年8月20日付け検察官調書によれば、しばらく実家を離れていたが、本件のころは被害者方近くの実家に戻ったばかりで、被害者のことは知ってはいるものの、訪問したことさえなく、本件当時はまだM子と面識がなかったと明言しており、M子のこの供述は疑わしい」と言うのだ。
大林さん、この主張はおかしくないかい?
杉山卓男、当時の利根町の住民で、彼を知らない人はいなかった。杉山が知らなくても、相手は知っていた、悪だったからね。Kも同じなんだよ、大林さん。Kは悪だった。利根町の人間に聞いたらいい。本人が知らなくても、相手が知っていることはあるの。簡単な話だ。俺の兄が同級生だ。まだ沢山の同級生が生きているから、いくらでも検察が聴き質す機会はある。
Mさんの話を耳にしたとき、案じたことがある。Kが刑務所にへ行っていたと言うアリバイがあるのではないかと思ったわけだ。だから警察の追及を逃れたのではないか、とね。でも、違うようだ、故郷を売って、どこで生きていたかは知らないが、帰ったばかりでの事件だったと認めている。実家にいたとね。Kが知らないと言う弁明だけで、Mさんが嘘をを言っていると書く検察の主張は、正しくない。
こうも言う「当時、捜査官に何度も取り調べられていたにもかかわらず、その際には目撃した男の1人がKである旨明らかにせず、「杉山ではない」との供述もしなかったのである。40年近く経てから「自分が見たのはKである」との供述を繰り返していることも含めて、その理由が何なのか、全く理解のしようがない」と。
語るに落ちるね大林さん。「捜査官に何度も調べられている」、そうだよね。ならば、その当時、この事件が発覚し、彼女が自ら交番に目撃を申告してから「たびたび調べた」調書、なぜ検察は隠すの?おかしくない?
今度の高裁決定では「10月16日付け調書を初期供述」と認定した。間違っている。もっと前、8月30日付けが無ければおかしい。その後に続く、連日の調書を知っているからこそ、見ているからこそ、検察は「何度も取り調べられていた」と言うのではないか!まさか、彼女の証言の否定に躍起な検察が、彼女の「8月30日から連日調べられた」の証言だけで、そう主張するのじゃないよね?
大林宏高等検察庁、証拠を全部開示しろ!証拠隠しの犯罪を止めろ!
Mさんの証言を攻撃した抗告書は、最後に「以上の事実からすれば、M子は、本件当時も、被害者方前路上における目撃状況があいまいだったというにとどまらず、積極的に虚偽の供述をした疑いが濃厚であり、初期供述を含め、M子供述が信用できないのは明らかである」とまで言っている。
彼女の証言を真摯に聞く耳があれば、こんな評価は、どこからも出ない。彼女の証言が乱れるのは、検察官や警察が証言を歪めようとして、あれやこれやと誘導した部分のみなのだ。杉山と一致させようと、容貌などを誘導した部分、目撃時間を動かそうとした部分において、その当時の一時期に乱されただけなのだ。
もし検察に公正な心があれば、「現場を通過したとき、その後にすれ違った中学生たちの顔が印象に残って桜井と思った」ごとくまで語る、奇天烈な渡辺証言は、必ず偽証罪をもって糾弾するはずだ。どんなにひどい証言かは、彼の証言を読めば明らか。知らない人には通じる抗告書のMさん批判かも知れないが、正義は歪められない。
勿論、俺も弁護団もKが犯人だなどとは思わないし、Mさんの目撃の総てが正しいとも言わない。人間は間違えるからだ。勘違いすることもあるからだ。ただ、何時聞いても、何を聞いても、淡々として同じことを語るMさんの言葉に嘘が見えないから信じられると言うだけのことだ。
この件では、まだ書くこともあろうが、ここに書いたおれの主張と検察の主張のどちらが正しいか、判断するのはあなたです。