桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

祭り

2008-07-26 | Weblog
 布川には歴史のある夏祭りがあって、毎年7月、盛大に開かれていた。
大人御輿が一騎。地区ごとに子供御輿に山車。夜店が立ち並んで、近在からも見物客が来るほどだった。高台の神社から担ぎ出された金色に煌めく御輿が、乏しい光の狭い石段を悠然と降りてくる様は、子供心にも息を飲む美しさだった。その御輿が階段を降りきったとき、今度は担ぎ手の興奮に導かれて暴れだす。神社下広場の群衆が巻き込まれそうな恐怖も、また祭りの楽しさだった。
それが若者の地域離れや過疎化もあったのか、今では3年に一度の本祭りだけと衰退してしまった。
 
 昨日から始まった祭りを見に行こうかと、同級生に聞いたら、最早夜店も見物客もないとのこと。

 今朝、蒲郡での集いに参加しようと駅まで歩いたら、布川が近くなるにつれて祭り囃子が聞こえ始めた。あの頃と同じ、神田囃子!
陸橋から見下ろした仮宮広場には、あの頃と同じに輝く御輿を前に担ぎ手が集まっていた。変わってしまったもの、変わらないもの、沢山見てきた12年だが、あの頃を見たい気持ちになり、傍に行きたくなった。。でも、残念ながら時間が無い。

 次は3年後。
そのときは何が変わり、何が変わらずにあるだろうか。

正体がばれた

2008-07-26 | Weblog
土浦で再審開始決定があったとき、その後に会社に出ても、俺を意識しない人が多かった。ガソリンスタンドで「大変だったですね」なんて、妙に丁寧な言葉を受けたのが変化だった。でも、今回は違う。それだけ報道量が違ったのだろうが、今回の決定は、俺の正体をばらすことになったね。
会社の関係業者に行ったら、そこの主人が「大変でしたね、頑張ってください」と来た。元請けの人が「有名人が来てるね」なんて笑っていた。
この調子では、行く先々で、何かがあるだろう。
高裁での決定の意義は、高検の抗告に関係なく、これからも俺の周りで確認されていくに違いない。

安らぎ

2008-07-26 | Weblog
「この家は安らぎますか」と聞かれた。
自分が育った家、という意味では、それは安らぐと言えるかも知れないが、ここで過ごす時間は、安心はできないね。
昨日は、帰宅して、すぐに水中ポンプを設置した。雷雨が来たとき、すぐに排水するためだ。先夜の地震では飛び起きた。揺れで倒壊を案じたからだ。歩くたびに落下の心配をする家なんて、芯から安らぐはずはないよね。嫌じゃない、この家こそ、俺にはふさわしいとも思うが、余計なことを案じないで過ごしてみたいとは思うね。
今日も雷雨の報。俺は蒲郡だから、その時は床下浸水だね。