羽生善治王将が2勝2敗のタイに戻すか,深浦康市王位が3勝1敗と王手を掛けるのか,今後の展開を占う意味では大きな一番といえる第58期王将戦七番勝負第四局が18・19の両日に指されました。
ここは羽生王将が先手。深浦王位は一手損角換りで1-Ⅱ。先手が1筋の位を取って相腰掛銀。意外と珍しい形ではないかと思います。第1図に。

ここで後手は△3五歩と位を取りましたが,大胆な感じもします。続く▲4五銀に△6三銀と引くのも意表といえば意表。何というか,やって来いと促しているというか挑発しているというか,そんな気がしました。先手は怯まずに攻めて出て第2図に。

ここで▲2四銀と打ったのが決断の一手。もう後戻りはしないという気持ちが表れているような感じでしょうか。以下,△4六角▲3三銀成に実戦の△同金ではなく△同桂であったらどうだったのかということはありますが,ほとんど一方的に先手が攻め勝っています。感想戦にもありますが,この将棋は本格的な戦いになる以前の後手の構想が少しまずかったということではないのかと思われます。
2勝2敗となり,残り3局での勝負に。第五局は24日と25日です。
表象の相違の発生に関しては,もうひとつ,別の考え方をすることもできると思います。しかしこれは先にした説明と,どちらが正しいとかいう問題ではなくて,実際の各個人の間における表象像のずれというのは,双方を原因として生じるということだと思います。
第二部定理一七は,人間の精神による事物の知覚を,この知覚をする人間の身体と,知覚される物体とのある関係によって説明しています。このとき,この運動と,知覚される物体の表象像が平行論における平行関係にあるわけです。そこでもしも生じる運動が完全に同一であると仮定するならば,表象像の方も完全に同一であるということがいえると僕は考えます。したがって,もしもXという物体があり,この物体が人間Aの身体に対しても人間Bの身体に対してもまったく同じようにある刺激を与え,かつその刺激によって人間Aの身体のうちにも人間Bの身体のうちにも完全に同様といえる運動が生じるならば,人間Aの精神が知覚するXの観念すなわち表象像と,人間Bが知覚するXの表象像とは,完全に一致するということになると思います。
しかし逆に考えれば,Aの精神とBの精神のうちで,Xの表象像が完全に一致するのは,以上の条件が揃った場合のみなのであって,そうでない限り,何らかの相違が生じるということになると思います。しかし,前述したような条件が揃うということは,絶対に不可能だとはいいませんが,きわめて稀であると断定してよいと思います。なぜなら,第二部自然学②公理一,岩波文庫版113ページ冒頭部分は,そういうことを示していると僕は考えるからです。よってこの観点からも,各個人の間においては,想像に限らず,知覚と想起も含んだ表象像が厳密な意味では異なるということが帰結していると思います。
ここは羽生王将が先手。深浦王位は一手損角換りで1-Ⅱ。先手が1筋の位を取って相腰掛銀。意外と珍しい形ではないかと思います。第1図に。

ここで後手は△3五歩と位を取りましたが,大胆な感じもします。続く▲4五銀に△6三銀と引くのも意表といえば意表。何というか,やって来いと促しているというか挑発しているというか,そんな気がしました。先手は怯まずに攻めて出て第2図に。

ここで▲2四銀と打ったのが決断の一手。もう後戻りはしないという気持ちが表れているような感じでしょうか。以下,△4六角▲3三銀成に実戦の△同金ではなく△同桂であったらどうだったのかということはありますが,ほとんど一方的に先手が攻め勝っています。感想戦にもありますが,この将棋は本格的な戦いになる以前の後手の構想が少しまずかったということではないのかと思われます。
2勝2敗となり,残り3局での勝負に。第五局は24日と25日です。
表象の相違の発生に関しては,もうひとつ,別の考え方をすることもできると思います。しかしこれは先にした説明と,どちらが正しいとかいう問題ではなくて,実際の各個人の間における表象像のずれというのは,双方を原因として生じるということだと思います。
第二部定理一七は,人間の精神による事物の知覚を,この知覚をする人間の身体と,知覚される物体とのある関係によって説明しています。このとき,この運動と,知覚される物体の表象像が平行論における平行関係にあるわけです。そこでもしも生じる運動が完全に同一であると仮定するならば,表象像の方も完全に同一であるということがいえると僕は考えます。したがって,もしもXという物体があり,この物体が人間Aの身体に対しても人間Bの身体に対してもまったく同じようにある刺激を与え,かつその刺激によって人間Aの身体のうちにも人間Bの身体のうちにも完全に同様といえる運動が生じるならば,人間Aの精神が知覚するXの観念すなわち表象像と,人間Bが知覚するXの表象像とは,完全に一致するということになると思います。
しかし逆に考えれば,Aの精神とBの精神のうちで,Xの表象像が完全に一致するのは,以上の条件が揃った場合のみなのであって,そうでない限り,何らかの相違が生じるということになると思います。しかし,前述したような条件が揃うということは,絶対に不可能だとはいいませんが,きわめて稀であると断定してよいと思います。なぜなら,第二部自然学②公理一,岩波文庫版113ページ冒頭部分は,そういうことを示していると僕は考えるからです。よってこの観点からも,各個人の間においては,想像に限らず,知覚と想起も含んだ表象像が厳密な意味では異なるということが帰結していると思います。