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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流名人位戦&表象と持続

2009-02-01 19:38:11 | 将棋
 女流名人位戦五番勝負第二局が指されました。
 先手は矢内理絵子女流名人。清水市代女流王将の手順はやや変則的でしたが,一応は相矢倉に。積極的に動いた後手がやや作戦勝ちになったようで,対して先手が反撃に出たのが第1図。
           
 ▲2五歩に2二にいた玉を3一に逃げ,▲1五歩と突いたところ。手の流れだと▲2四歩でないとおかしい感じですが,それだと△2八歩で困るでしょうか。▲1四歩と取り込まれても大したことはなさそうですから攻め合うのも有力そうですが,△1五同歩と取りました。この将棋はこのように,後手がかなり受けに回り,手数が伸びました。その結果,どうも一旦は逆転してしまったようです。
           
 たぶん第2図で△3四歩と打ったのは,受けたようで受けになっていませんでした。▲1五角以下,龍を消され,△6九飛とようやく打ったのが第3図。
           
 ここで▲7八玉と引きましたが,次の△5八角が厳しくて敗着になりました。▲7七金上として,△8九飛成に▲7六玉と上に逃げておけば,飛車の王手で両取りの筋があって後手は上から縛りにくく,先手が有望であったと思われます。
 第一局と同様にいい将棋を逆転されましたが,相手のミスに助けられ清水王将が返して1勝1敗。第三局は18日です。

 僕の考えでは,想像というものがある持続を含んでいる,あるいはある持続に関連しているのであって,永遠であるような事柄には属していないということに関しては,単に想像というものがそういうものであるというよりは,想像がその種類を構成している表象の全体が,そういうものなのだと思っています。したがって,別に想像に限らず,人間の精神が事物を知覚するのであれ想起するのであれ,とにかく表象する限りにおいては,それはすでに持続に属するであろうと思うのです。そして,僕がこのように考える根拠というものはふたつありますので,それらを順に紹介していくことにしましょう。
 まず最初に注目したいのは,スピノザが人間の精神による事物の表象とはどんな事象であるのかということを説明している部分,『エチカ』でいえば今回のテーマとなっている第二部定理一七であり,とくにそこで,外部の物体を現実的に存在すると観想することが外部の物体の表象であるといわれている部分です。
 ある事物が現実的に存在するといわれること,このこと自体のうちに,その事物は持続のうちに存在するものであり,永遠から永遠にわたって存在するものではないということが含まれていると僕は考えます。なぜなら,あるものが永遠であるなら,第一部定義八からして,それは文字通り永遠に存在するわけですから,現実的に存在するといわれなければならない理由,つまりスピノザがこのようにいわなければならない理由が見当たらないからです。むしろこのことは,存在しないとも考えられるようなものにのみ妥当するような表現ではないでしょうか。
 スピノザがそのようなことばを用いて説明しているのだから,少なくともスピノザは表象というものが永遠と関係するのではなく持続と関係すると考えていると僕は理解します。これが第一の理由になります。
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