スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

金盃&第二部定理一六系二

2009-02-20 20:26:15 | 地方競馬
 18日に大井競馬場で争われた金盃の回顧です。
 大外からコアレスデジタルの逃げ。ナイキアースワーク,マズルブラスト,マンオブパーサーが追っていきました。最初の1000メートルは62秒3。やや早いペースといったところでしょうか。
 直線でまず抜け出したのはマンオブパーサー。これに中団から伸びたバグパイプウィンドが襲い掛かり交わし去ると,大外からルースリンドの追い込み。しかしこれは届かず,1番人気に推されていたバグパイプウィンドの優勝。詰め寄ったルースリンドが2着でマンオブパーサーが3着でした。
 優勝したバグパイプウィンドは中央デビューの予定でしたが態勢が整わず,3歳12月に大井でデビュー。以降14戦12勝2着2回という成績で初の南関東重賞に挑戦。ここも優勝となりました。斤量の差が4キロもあり,かなり有利であったことは否めませんが,重賞でもそこそこの勝負ができるルースリンドを抑えたのは価値がある勝利といえるでしょう。今後も楽しみな1頭だと思います。
 鞍上は大井の的場文男騎手で,昨年10月の埼玉栄冠賞以来となる南関東重賞制覇。金盃は意外にも1986年以来となる2勝目です。管理するのは大井の庄子連兵 調教師で,こちらは一昨年ボンネビルレコードで制していますので,2年ぶり2度目の金盃制覇となりました。

 こうした諸個人の間における表象像の相違を別の形で示しているのが,第二部定理一六系二であるということはできるかもしれません。
 「第二に,我々が外部の物体について有する観念は外部の物体の本性よりも我々の身体の状態をより多く示すということになる」。
 第二に,と始まっているのはこれが系二であるからで,それ以上の意味があるわけではありません。ちなみに系一が示していることは,人間は自分の身体とともに外部の物体の本性も知覚するということです。そしてこの系一で知覚するといわれているときの知覚は,スピノザが『エチカ』において用いる厳密な意味での知覚,すなわち第二部定義三説明で説明している,概念ということばと対義語としての知覚であると考えるべきであろうと思います。すなわちそこでは概念が能動的な認識作用とされるのに対し,知覚は受動的な認識作用と規定されていました。しかるに,第三部定理一によれば,人間は混乱した観念を有する限りにおいて受動的であるわけですから,この第二部定理一六系二において,外部の物体について有する観念といわれているときの観念は,十全な観念ではなく,混乱した観念であると理解しなければなりませんし,とくに表象像のことと理解するべきでしょう。なぜなら,ここでは外部の物体の本性を知覚するといわれていますが,第二部定義二の意味により,事物の本性はその事物の存在を定立しますが,ある個物が現実的に存在すると観想することこそ,その個物を表象するということの意味であったからです。
コメント
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