スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

マイナビ女子オープン&基本感情と意識

2024-05-13 19:46:32 | 将棋
 遊行寺で指された昨日の第17期マイナビ女子オープン五番勝負第三局。
 西山朋佳女王の先手でノーマル三間飛車。後手の大島綺華女流二段が持久戦を選択し,相穴熊の将棋になったのですが,組み上がったところで先手の作戦勝ちとなってしまいました。
                                        
 先手が穴熊に潜ったところ。石田流に穴熊はそれほどよい相性とはいえませんが,先手からすぐに攻めてくる手がないので,この局面では有効なのでしょう。
 後手は☖5四歩と突いたのですが,これに先手が反応しました。☗2八銀に後手も☖1二香と穴熊を目指したところで☗3六歩。☖1一玉に☗2六角と出ました。角成を受けるために後手は☖4四歩。先手は☗5六銀と進出し☖4三金右に☗3九金と手を戻しました。
                                        
 第2図となってもう先手が十分です。穴熊に組むのなら☖5四歩は省略する方がよく,穴熊は目指さず☖7二飛と寄るのが有力でした。☖1二香のところも☖2五歩がよく,☖4四歩のところも☖7二飛でした。☖4三金右よりは☖8四飛の方がよかったとのことで,細かいミスが積み上がって差がついてしまったようです。
 3連勝で西山女王が防衛第11期,12期,13期,14期,15期,16期に続く七連覇で7期目の女王です。

 第三部定理七は,現実的に存在する個物res singularisが自己の有に固執するperseverareことは,その個物の現実的本性actualis essentiaであるといっています。人間は個物ですから,人間にもこのことは妥当します。すなわち,現実的に存在する人間は,自己の有に固執することをその本性として有しているのです。当然のことですが,このことは現実的に存在する人間がそのことを意識しているか意識していないかということに関係ありません。したがって,現実的に存在する人間が自己の有に固執するということは,無意識として現実的に存在するすべての人間の知性intellectusのうちに含まれているのであって,ときに現実的に存在する人間はそのことを意識するということになります。
 これでみれば分かるように,現実的に存在する人間が自己の有に固執することは,第三部定理九備考でいわれているところの衝動appentitusに該当します。そしてそれがその人間によって意識された場合は,基本感情affectus primariiのひとつとしての欲望cupiditasとなるといわれているのです。欲望は意識された限りでの衝動ですから,それが希求しまた忌避する事柄は,欲望の場合であろうと衝動の場合であろうと同様です。そして現実的に存在する人間の衝動は,自己の有に固執するのです。ですから,現実的に存在する人間は,自己の実在性realitasすなわち完全性perfectioを,より小なる完全性からより大なる完全性に移行させる事柄は希求します。反対に,自己の完全性を,より大なる完全性からより小なる完全性へと移行させる事柄については忌避するでしょう。いい換えれば第三部定理二八にあるように,僕たちは喜びlaetitiaを希求しまた悲しみtristitiaを忌避するという衝動を有します。そしてこれが意識されるようになると,僕たちは僕たちが希求しているもののことを善bonumと判断するということが第三部定理九備考の最後の部分でいわれているのです。ですからそこではいわれていませんが,僕たちは僕たちが忌避しているもののことを意識したら,それをmalumと判断することになるでしょう。よって第四部定理八でいわれているように,僕たちにとっての善というのは僕たちが意識する僕たちの喜びにほかなりませんし,僕たちにとっての悪は僕たちが意識する限りでの悲しみにほかならないのです。

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