スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

狂人と聖人&ホメオスタシス

2024-05-23 19:11:34 | 歌・小説
 『生き抜くためのドストエフスキー入門』の第一章で,『罪と罰』の中で,ソーニャがラスコーリニコフが聖書の一節を読み聞かせる部分に触れています。これは『罪と罰』の第四部4節のプロットで,新約聖書のヨハネによる福音書の中の,ラザロの復活といわれる部分です。
                                        
 読み聞かせの前にラスコーリニコフは,ソーニャのことをバカな女だ,狂信者だと思い,それを何度も腹の中で繰り返します。その後にラスコーリニコフが新約聖書を発見し,当該部分を読むようにソーニャに依頼します。この聖書はソーニャの聖書ですが,ソーニャがリザヴェータからもらったものでした。リザヴェータというのは,ラスコーリニコフが金貸しの老婆を殺したときに,その場に居合わせたためにやはりラスコーリニコフによって殺されてしまった女です。そしてソーニャは,殺されたリザヴェータは神様に会うだろうとラスコーリニコフに伝えます。するとラスコーリニコフは,ソーニャだけでなくリザヴェータもばかな狂信者であって,伝染病のように自分もばかな狂信者になってしまうのではないかと思います。
 ここで狂信者といわれているのは,実際には神がかりに近い意味なのだと佐藤は指摘しています。つまり,狂信者というと単に狂人というような意味に受け取ることができますが,ロシアでは狂人といわれるような人間は神との繋がりをもつことができる特殊能力をもっているとみなされることがあり,したがってダブルスタンダードかもしれませんが,そこには聖人というような意味が含まれているのだそうです。つまりこの部分は,ラスコーリニコフはソーニャおよびリザヴェータを狂人と思っていて,自分も狂人になってしまうのではなかと恐れていたという意味があるのと同時に,ソーニャもリザヴェータも聖人であって,自分も聖人になってしまうのではないかと恐れていたという意味合いも含まれているのです。よってここには,自分は聖人などにはなりたくないというラスコーリニコフの思いが含まれていると佐藤は指摘しています。
 狂人になりたくないと,聖人になりたくないでは,受け取る意味合いが異なるでしょう。そしてラスコーリニコフという人間のキャラクターとして,ここは後者の意味合いの方が強いのではないかと思われます。

 欲望cupiditasと意識conscientiaに関連する考察はここまでですが,この考察は,人間の現実的本性actualis essentiaと大きな関係をもっていました。第三部定理七にあるように,個物res singularisの現実的本性は,自己の有に固執しようとするコナトゥスconatusとされています。考察の中で指摘しておいたように.これはすべての個物に適用される現実的本性で,人間も現実的に存在する個物のひとつであるという点で,この現実的本性が適用されるのです。ですから,國分も欲望と意識を巡る考察の中で,コナトゥスに触れています。その中で,スピノザがいっているコナトゥスをどのように理解するべきかということを國分は説明しています。この説明に関して,その部分だけを抽出して,僕の方から加えておきたいことがあります。
 第三部定理六に関しては,現代の生理学でいわれるところのホメオスタシスの原理に近いものと理解して不正確ではないと國分はいっています。ホメオスタシスというのは生物に特有の原理で,第三部定理六というのは,現実的に存在するすべての個物に妥当する定理Propositioなので,ホメオスタシスよりは広きに渡ります。なので生物に限定していえばというように國分はいっていて,そのことは間違いないものと思います。ただ僕は,現代の生理学でいわれるホメオスタシスというのを,『エチカ』の第三部定理六でいわれていることを,生物に適用した原理であるというように解する方が自然であると思います。もちろんこの原理は,スピノザの哲学を念頭に置いて構築された原理ではないでしょうが,自然科学の原理というのはそれを支える形而上学というのが必ずあるというように僕は考えていて,現代の生理学の一部は,スピノザの形而上学によって支えられているというように僕は解するからです。
 ただし,なぜ現実的に存在する個物は自己の有に固執しようとするのかということ,あるいは同じことですが,なぜ現実的に存在する個物にはコナトゥスがあるのかということについて,スピノザは十分に説明していないと國分はいっています。十分であるかないかというのは受け取る側の観点なので,この指摘は正しいとも正しくないとも僕にはいえませんが,そういわれる面があるのは事実です。

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