スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

マイナビ女子オープン&悪の観点

2022-06-14 19:12:18 | 将棋
 昨日の第15期マイナビ女子オープン五番勝負第五局。
 振駒で里見香奈女流四冠が先手となって中飛車。後手の西山朋佳女王が三間飛車での相振飛車。後手から角を交換したことで,相向飛車になりました。
                                        
 第1図で後手は☖4五歩と突きました。これはすぐに歩を取られないようにするための手ですが,ここではうまい一手でした。
 後手から角を交換したために先手は手得になっています。なので先攻したいところ。そこで☗9五歩☖同歩☗8五桂☖5四歩に☗4四銀と進めましたがこれは失着で,攻めるのなら単に☗4四銀とぶつけるべきだったようです。
 ☖4四同銀☗同角に☖4六歩。
                                        
 第2図で☗同歩と取ると☖4五歩と継ぎ歩をする手があります。これは第1図で☗9五歩と突いて後手に歩を与えてしまったため。これを避けて☗3七銀としましたが☖4七歩成☗同金左に☖4一飛と回って,後手が明確な優位に立ちました。
 3勝2敗で西山女王が防衛第11期,12期,13期,14期に続く五連覇で通算5期目の女王。永世女王の称号を獲得するとともに女流四段に昇段しました。

 確かに人間は理性ratioに従う限りで,あるいは有徳的である限りにおいて,現実的本性actualis essentiaは一致します。よって何が有徳的で何が無力impotentiaであるかという認識cognitioも一致するのです。ところが自己の有は,自己の形相formaと同時に自己の力potentiaも意味するので,形相の維持と力の維持が相反する場合は,形相の維持を重視することも力の維持を重視することも有徳的であるということになってしまうので,ある人は力の一部あるいは全部を放棄しても形相の維持を目指すことになり,またある人は形相の維持の一部を断念しても力の維持を目指すことになるのです。
 ただこのことは,次のように解するべきだと僕は考えています。
 形相も力も自己の有なのですからその全部であれ一部であれ,それを放棄するとか断念するということは,大なる完全性perfectioから小なる完全性への移行transitioを意味します。第二部定義六により完全性というのは実在性realitasのことであり,実在性というのは力という観点からみた本性であり,自己の有を維持するということは事物の現実的本性であるからです。よって,形相を維持するために力を部分的に放棄することも,力を維持するために形相の維持を部分的に放棄することも,放棄するその人にとっては大なる完全性から小なる完全性への移行になるのです。いい換えれば第三部諸感情の定義三によって,その人にとっての悲しみtristitiaです。したがってこれを一般的にいうなら,ある人に対してその人の形相の維持と力の維持とを相反するようにさせる何かがあるとするなら,その何かは必ずその人を悲しませるのです。ということは,第四部定理八によって,その人にとっての悪malumです。要するに,人に対して力の維持と形相の維持を相反するようにさせるものは,その人にとっての悪であるということになります。僕の見解opinioでは,この形相の維持と力の維持が相反する場合というのは,徳virtusの観点から解するより,この悪という観点から解した方がよいのです。
 このようにして,ある人に対して,激烈な副反応を惹起するような治療を強いるような病は悪です。同様に,市民に力の維持か形相の維持かの選択を迫るような戦争は,市民Civesにとっての悪であると同時に国家Civitasにとっての悪なのです。
コメント
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