6月28日の優駿スプリントを勝ったプライルードの父はラブリーデイです。父がキングカメハメハで母の父がダンスインザダーク。レディチャッター系シャダイチャッターの分枝で6つ下の全弟が一昨年の中日新聞杯と5月の目黒記念を勝っている現役のボッケリーニ。
2歳の8月にデビューすると新馬とオープンを連勝。京王杯2歳ステークスで2着になって朝日杯フューチュリティステークスに向かい7着。
3歳初戦はアーリントンカップでコパノリチャードの5着。毎日杯がキズナの11着。皐月賞は15着でダービーはキズナの7着でした。
夏の小倉記念に出走して2着。休養を挟み11月の金鯱賞も2着。有馬記念はオルフェーヴルの12着。
4歳初戦の中日新聞杯は3着。4月のオープンで2歳以来の3勝目。目黒記念が5着,七夕賞は6着でした。
休養してアルゼンチン共和国杯に出走して5着。金鯱賞は4着でした。
5歳初戦の中山金杯で重賞初勝利をあげると京都記念も連勝。阪神大賞典はゴールドシップの6着,天皇賞(春)もゴールドシップの8着と敗れましたが,鳴尾記念で重賞3勝目。そして宝塚記念で大レース初制覇を達成しました。
復帰戦の京都大賞典も優勝。さらに天皇賞(秋)を制して大レース2勝目。ジャパンカップは3着。有馬記念は5着でした。この年のJRA賞の最優秀4歳以上牡馬を受賞。
6歳となり,復帰戦の大阪杯は4着。クイーンエリザベスⅡ世カップに遠征して4着。宝塚記念も4着。
秋は京都大賞典で復帰して3着。天皇賞(秋)はモーリスの9着。遠征した香港カップもモーリスの4着で,競走生活から退きました。
5歳のときに活躍が偏っていますが,相手関係もあったと思います。晩成だったのは確かですが,図抜けた力量があったわけではなく,一定の力量を安定して発揮したタイプです。競走生活からはダートのスプリンターが輩出したのは意外ですが,キングカメハメハはコースや距離を問わずに活躍馬を出しましたから,その傾向を受け継いでいるのかもしれません。基本的に母系は平坦コースを得意としますので,そういう特徴が出てくる可能性もあるでしょう。
『国家論Tractatus Politicus』で具体的に検討されている政治体制は,君主制と貴族性と民主制の3つです。このうち,民主制がどういう制度であるのかということは説明する必要はないでしょう。スピノザが考えている民主制は,たとえば今の日本で与えられている民主制とは異なりますが,その点はここでは考慮に入れません。これは『スピノザの生涯Spinoza:Leben und Lehre』について探求したときに,『国家論』におけるスピノザの主張には,スピノザの哲学とは相容れないものが含まれていて,それは『国家論』の欠陥のひとつであるという主旨の僕の見解opinioを述べたことと関連しています。それをここで繰り返すのは煩雑になるので,この民主制は,ある国家Civitasの市民Civesのすべてが政治に参加する権利jusを有する政治体制と理解します。
次に,君主制は,文字通りに解するならひとりの君主が政治的な権限のすべてを発揮する政治体制で,これは独裁制の別名です。ただ,現実的なことをいうと,ひとりの人間がすべての政治的権限を発揮するということは不可能ですので,限られた何人かの人間が,君主に進言するような形で政治的権力のすべてが発揮されるような国家Imperiumのことも,ここでは君主制といいます。実際にスピノザは,そういう体制のことを含めて君主制といっています。
最後に貴族制は,ある国家の中に身分制度があって,ある特定の身分の人間,あるいはある特定の階級に属する人間だけが政治に参加することができる政治体制のことを意味します。この場合は身分というのは一例であって,生まれながらにして与えられる何らかの属性によって参政権が与えられる国家も貴族性といわれなければなりません。なので,たとえば性別によって参政権が区別されるような政治体制があるなら,それは民主制よりも貴族性に近似していると僕は考えます。
この3つの制度のうち,政治に参加する人数が最も多くなるのは民主制であることはいうまでもありません。そして次が貴族制で,最も少ないのが君主制です。そしてスピノザは,政治に参加する人間が多ければ多いほどよい制度と考えているわけですから,基本的に民主性が最も好ましい制度であるということになります。これは間違いではありません。
2歳の8月にデビューすると新馬とオープンを連勝。京王杯2歳ステークスで2着になって朝日杯フューチュリティステークスに向かい7着。
3歳初戦はアーリントンカップでコパノリチャードの5着。毎日杯がキズナの11着。皐月賞は15着でダービーはキズナの7着でした。
夏の小倉記念に出走して2着。休養を挟み11月の金鯱賞も2着。有馬記念はオルフェーヴルの12着。
4歳初戦の中日新聞杯は3着。4月のオープンで2歳以来の3勝目。目黒記念が5着,七夕賞は6着でした。
休養してアルゼンチン共和国杯に出走して5着。金鯱賞は4着でした。
5歳初戦の中山金杯で重賞初勝利をあげると京都記念も連勝。阪神大賞典はゴールドシップの6着,天皇賞(春)もゴールドシップの8着と敗れましたが,鳴尾記念で重賞3勝目。そして宝塚記念で大レース初制覇を達成しました。
復帰戦の京都大賞典も優勝。さらに天皇賞(秋)を制して大レース2勝目。ジャパンカップは3着。有馬記念は5着でした。この年のJRA賞の最優秀4歳以上牡馬を受賞。
6歳となり,復帰戦の大阪杯は4着。クイーンエリザベスⅡ世カップに遠征して4着。宝塚記念も4着。
秋は京都大賞典で復帰して3着。天皇賞(秋)はモーリスの9着。遠征した香港カップもモーリスの4着で,競走生活から退きました。
5歳のときに活躍が偏っていますが,相手関係もあったと思います。晩成だったのは確かですが,図抜けた力量があったわけではなく,一定の力量を安定して発揮したタイプです。競走生活からはダートのスプリンターが輩出したのは意外ですが,キングカメハメハはコースや距離を問わずに活躍馬を出しましたから,その傾向を受け継いでいるのかもしれません。基本的に母系は平坦コースを得意としますので,そういう特徴が出てくる可能性もあるでしょう。
『国家論Tractatus Politicus』で具体的に検討されている政治体制は,君主制と貴族性と民主制の3つです。このうち,民主制がどういう制度であるのかということは説明する必要はないでしょう。スピノザが考えている民主制は,たとえば今の日本で与えられている民主制とは異なりますが,その点はここでは考慮に入れません。これは『スピノザの生涯Spinoza:Leben und Lehre』について探求したときに,『国家論』におけるスピノザの主張には,スピノザの哲学とは相容れないものが含まれていて,それは『国家論』の欠陥のひとつであるという主旨の僕の見解opinioを述べたことと関連しています。それをここで繰り返すのは煩雑になるので,この民主制は,ある国家Civitasの市民Civesのすべてが政治に参加する権利jusを有する政治体制と理解します。
次に,君主制は,文字通りに解するならひとりの君主が政治的な権限のすべてを発揮する政治体制で,これは独裁制の別名です。ただ,現実的なことをいうと,ひとりの人間がすべての政治的権限を発揮するということは不可能ですので,限られた何人かの人間が,君主に進言するような形で政治的権力のすべてが発揮されるような国家Imperiumのことも,ここでは君主制といいます。実際にスピノザは,そういう体制のことを含めて君主制といっています。
最後に貴族制は,ある国家の中に身分制度があって,ある特定の身分の人間,あるいはある特定の階級に属する人間だけが政治に参加することができる政治体制のことを意味します。この場合は身分というのは一例であって,生まれながらにして与えられる何らかの属性によって参政権が与えられる国家も貴族性といわれなければなりません。なので,たとえば性別によって参政権が区別されるような政治体制があるなら,それは民主制よりも貴族性に近似していると僕は考えます。
この3つの制度のうち,政治に参加する人数が最も多くなるのは民主制であることはいうまでもありません。そして次が貴族制で,最も少ないのが君主制です。そしてスピノザは,政治に参加する人間が多ければ多いほどよい制度と考えているわけですから,基本的に民主性が最も好ましい制度であるということになります。これは間違いではありません。
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