天皇賞(秋)を勝ったイクイノックスの輸入基礎繁殖牝馬は4代母に当たるブランシュレインという馬です。Blanche Reineはフランス語で白の女王。ヴィキュニアと同じでファミリーナンバーは16-b。
1982年にフランスで産まれた馬。2頭の産駒をフランスとアメリカで産んだ後で輸入されました。
日本で最初に産んだ産駒が牝馬で,競走生活では5勝。その後に繁殖牝馬になりました。この馬がサクラバクシンオーと配合されて産まれたのがブランディス。降雪のために延期され,2004年1月に実施された中山大障害と,同年4月の中山グランドジャンプを勝ち,JRA賞でこの年の最優秀障害馬に選出されました。
ブランディスのひとつ下の半妹は競走生活は2勝。繁殖入りした後で,キングヘイローを父とする,2015年のマーメイドステークスを勝ったシャトーブランシュの母になりました。
シャトーブランシュが繁殖牝馬となって2頭目の産駒がキングカメハメハが父のヴァイスメテオール。昨年のラジオNIKKEI賞を勝っています。そのひとつ下の半弟が,キタサンブラックと配合されたイクイノックスになります。
一族に牝馬の割合が少ないので,分枝が大きく広がっているわけではありません。それでもこれだけの活躍馬を出していますから,少ない牝馬が繁殖入りして,さらに活躍馬が輩出するという可能性はあるでしょう。
第三部定理二は真理veritasです。したがって,人間の身体humanum corpusは自分の精神mensを思惟作用に決定するdeterminareことはできません。そして人間の精神は自分の身体を運動motusや静止quiesに決定することもできません。僕はこの定理Propositioをテーマとして設定して深く論考したことがありますが,そのときに,この定理が真理であるということを,単に論理的に示しただけではなく,僕たちの経験的にもそうでなければならないということを示しました。ですからこの定理が真理であるということについてはここでは繰り返しての説明は与えません。ただ,僕たちが現に生きているこの社会では,むしろこの定理は虚偽falsitasであるとされているのであって,人間の精神が自分の身体を運動にも静止にも決定することができるということになっています。
同様のことは第二部定理四九および第二部定理四九系についてもいえます。これらの定理や系Corollariumも真理なのであって,これについてもまた僕は単に論理的に真verumであるということだけではなく,僕たちが事物を認識するcognoscereあり方を反省的に考えることによって,経験的にも真でなければならないということを示してありますから,ここではそれを繰り返すことはしません。ただ僕たちが生きている現代社会あるいは近代社会においては,むしろ虚偽とされているのであって,人間の精神を構成する諸々の観念ideaには限界があるのだとしても,同じ人間の精神にはそれを超越する自由意志voluntas liberaが備わっているのであり,その限りにおいては意志と観念は同一ではなく,意志は観念を超越するということになっています。そもそもスピノザの哲学では,第二部定理四八で,人間の精神には自由意志は備わっていないとされているばかりでなく,第一部定理三二系一により,神Deusにも自由意志は備わっていないとされているのですから,これでみればスピノザの思想の形而上学に該当する部分,とくに第二部定理四八と第二部定理四九,そして第二部定理四九系を支えている形而上学的部分が,現代社会では虚偽であるとされていることになります。
このように,反省的に考えれば真理とされなければならない事柄が,社会において虚偽とされるということは,実はさほど不自然なことではありません。
1982年にフランスで産まれた馬。2頭の産駒をフランスとアメリカで産んだ後で輸入されました。
日本で最初に産んだ産駒が牝馬で,競走生活では5勝。その後に繁殖牝馬になりました。この馬がサクラバクシンオーと配合されて産まれたのがブランディス。降雪のために延期され,2004年1月に実施された中山大障害と,同年4月の中山グランドジャンプを勝ち,JRA賞でこの年の最優秀障害馬に選出されました。
ブランディスのひとつ下の半妹は競走生活は2勝。繁殖入りした後で,キングヘイローを父とする,2015年のマーメイドステークスを勝ったシャトーブランシュの母になりました。
シャトーブランシュが繁殖牝馬となって2頭目の産駒がキングカメハメハが父のヴァイスメテオール。昨年のラジオNIKKEI賞を勝っています。そのひとつ下の半弟が,キタサンブラックと配合されたイクイノックスになります。
一族に牝馬の割合が少ないので,分枝が大きく広がっているわけではありません。それでもこれだけの活躍馬を出していますから,少ない牝馬が繁殖入りして,さらに活躍馬が輩出するという可能性はあるでしょう。
第三部定理二は真理veritasです。したがって,人間の身体humanum corpusは自分の精神mensを思惟作用に決定するdeterminareことはできません。そして人間の精神は自分の身体を運動motusや静止quiesに決定することもできません。僕はこの定理Propositioをテーマとして設定して深く論考したことがありますが,そのときに,この定理が真理であるということを,単に論理的に示しただけではなく,僕たちの経験的にもそうでなければならないということを示しました。ですからこの定理が真理であるということについてはここでは繰り返しての説明は与えません。ただ,僕たちが現に生きているこの社会では,むしろこの定理は虚偽falsitasであるとされているのであって,人間の精神が自分の身体を運動にも静止にも決定することができるということになっています。
同様のことは第二部定理四九および第二部定理四九系についてもいえます。これらの定理や系Corollariumも真理なのであって,これについてもまた僕は単に論理的に真verumであるということだけではなく,僕たちが事物を認識するcognoscereあり方を反省的に考えることによって,経験的にも真でなければならないということを示してありますから,ここではそれを繰り返すことはしません。ただ僕たちが生きている現代社会あるいは近代社会においては,むしろ虚偽とされているのであって,人間の精神を構成する諸々の観念ideaには限界があるのだとしても,同じ人間の精神にはそれを超越する自由意志voluntas liberaが備わっているのであり,その限りにおいては意志と観念は同一ではなく,意志は観念を超越するということになっています。そもそもスピノザの哲学では,第二部定理四八で,人間の精神には自由意志は備わっていないとされているばかりでなく,第一部定理三二系一により,神Deusにも自由意志は備わっていないとされているのですから,これでみればスピノザの思想の形而上学に該当する部分,とくに第二部定理四八と第二部定理四九,そして第二部定理四九系を支えている形而上学的部分が,現代社会では虚偽であるとされていることになります。
このように,反省的に考えれば真理とされなければならない事柄が,社会において虚偽とされるということは,実はさほど不自然なことではありません。
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