スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ロイコン&傾向

2024-05-27 19:34:00 | 血統
 オークスを勝ったチェルヴィニアの輸入基礎繁殖牝馬は3代母のハッピートレイルズという馬です。その母のロイコンも輸入されていますので,ここではロイコンを起点とする一族の活躍馬を列挙していきます。スカーレットインク,プロポンチスと同じファミリーナンバー4-dの一族。
                                        
 ロイコンは1991年に産駒を受胎したまま繁殖牝馬として輸入されました。それ以前の産駒は1頭が競走馬として,3頭が繁殖牝馬として輸入されています。
 繁殖牝馬として輸入された1頭がハッピートレイルズ。この馬が1989年にアイルランドで産んで競走馬として輸入されたのがシンコウラブリイでした。シンコウラブリイは引退後は繁殖牝馬に。産駒には2001年の中京記念を勝ったロードクロノス。孫に2009年の新潟2歳ステークスと2010年の関東オークスを勝ったシンメイフジ,2019年にアルゼンチン共和国杯を勝ったムイトオブリガード。曾孫にも2019年のチャレンジカップを勝ったロードマイウェイがいます。
 やはりアイルランドで産まれ,競走馬として輸入されたシンコウラブリイの3つ下の半弟がタイキマーシャル。1997年にエプソムカップを勝っています。
 ハッピートレイルズはこの後で繁殖牝馬として輸入されました。2頭目の産駒が牝馬で繁殖牝馬となり,2005年のセントライト記念と2007年の京成杯オータムハンデキャップを勝ったキングストレイルを産んでいます。
 タイキマーシャルの6つ下の産駒がハッピーパス。2003年に京都牝馬ステークスを勝ちました。繁殖牝馬となったハッピーパスは,2010年に札幌2歳ステークスと東京スポーツ杯2歳ステークスを勝ったコディーノと,2016年にフローラステークスを勝ったチェッキーノの母になっています。チェルヴィニアはこのチェッキーノの産駒で,ひとつ上の半兄が昨年の新潟記念を勝っている現役のノッキングポイント。またコディーノのひとつ上の半姉が繁殖牝馬として2022年のフィリーズレビューを勝っている現役のサブライムアンセムの母になっています。
 ハッピートレイルズの5つ下の半妹はロイヤルブライド。1994年にアメリカで産んだ産駒が1997年のアルゼンチン共和国杯を勝ったタイキエルドラドで,1996年にアメリカで産んだ産駒が2000年に函館スプリントステークスを勝ったタイキトレジャーです。
 タイキトレジャーのひとつ下の半妹も競走馬として輸入。繁殖牝馬となり,孫に2022年のプロキオンステークスを勝っている現役のゲンパチルシファーがいます。
 遡ると1957年にアイルランドで産まれたAzurineに至ります。タイキシャトル,2014年のNARグランプリの年度代表馬に選出されたサミットストーン,2008年に東京オータムジャンプを勝ったタイキレーザー,2002年のJRA賞の最優秀2歳牝馬に選出されたピースオブワールドは,いずれもAzurineの孫のMuffitysの子孫。ロイコンとMuffitysは従姉妹になります。

 この部分をスピノザの哲学におけるコナトゥスconatusの説明に利用することには,利点があると僕は考えています。慣性の法則は自然界の一般の法則であって,コナトゥスもまたそれと同様に理解されなければならないということが理解できるからです。すなわち,コナトゥスというのは通常は努力と訳されるラテン語なのであって,だから『エチカ』の岩波文庫版でもそのように訳されています。ところがそれは,思惟Cogitatioを示すわけではないのですから,僕たちがコナトゥスを有するということは,僕たちが自己の有esseに固執しようとする,意志voluntasをもって固執しようとするということではないのです。努力と訳してしまうと,僕たちのコナトゥスがそのように理解されてしまうおそれがあるでしょう。畠中は,『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』で当該部分を訳すときには,努力ではなく傾向という訳語を与えています。これは,ある物体corpusが何らかの運動motusへの傾きを有し,それを妨げる原因causaがない状態のことを運動への努力というのは日本語として不適切であって,日本語として成立させるために,運動への傾向という訳語を与えたからです。しかし,実際には現実的に存在する個物res singularisの現実的本性actualis essentiaであるといわれるコナトゥスも,努力と訳すよりは傾向と訳す方が適切なのです。つまり現実的に存在する個物は,自己の有に固執するperseverareことに努力するというより,現実的に存在する個物は自己の有に固執する傾向を有するといった方が,スピノザの哲学におけるコナトゥスを正しく理解できると僕は考えます。コナトゥスとは,物理学的にいえば,慣性の法則に属するものなのであって,努力するとか努力しないかといったこととは関係なく,現実的に存在するすべての個物に備わった傾向なのです。
 國分がこの点に注目したのは,コナトゥスの理解のために有益であったと僕は思います。國分は『スピノザの方法』においても,『デカルトの哲学原理』を利用することによって,デカルトRené Descartesの方法論とスピノザの方法論とを比較し,スピノザがデカルトの方法の何に不備を感じたのかを明らかにすることによって,スピノザの独自の方法論を明らかにしようとしました。このような手法は有効だといえるでしょう。

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