昨年暮れの東京2歳優駿牝馬を勝ったことによりNARグランプリの最優秀2歳牝馬に選出され,今年の初戦となったユングフラウ賞も勝ったことにより桜花賞の最有力候補となっているプラウドフレール。この馬の基礎輸入繁殖牝馬は3代母のナイスレイズになります。

ナイスレイズは1994年にアメリカで産まれました。繁殖生活は日本で送っています。ファミリーナンバーは10。
2頭の牝馬を産んだ後,3頭目に牡馬が誕生。この牡馬がメイショウボーラーです。
これ以降,オープンを勝ったり重賞で入着するような馬は出ていたのですが,重賞および南関東重賞の勝ち馬は出ていませんでした。
これを打ち破ったのが,メイショウボーラーの3つ下の半妹の孫にあたるギャルダル。一昨年のフジノウェーブ記念を勝ちました。さらに昨年のフジノウェーブ記念も勝って連覇を達成。現役を続けています。
ギャルダルの3つ下の半妹がミスカッレーラ。一昨年のローレル賞を勝っています。先月のオープンを勝っていますので,また南関東重賞を制覇できるかもしれません。
プラウドフレールはミスカッレーラのひとつ下の半妹になります。3きょうだいを産んだ牝馬は競走成績は1戦しただけで15着だったのですが,繁殖牝馬としてはかなり優秀だったことになります。
無事ならばミスカッレーラもプラウドフレールも繁殖牝馬になるでしょう。なのでこの系統はまだ続くでしょうし,さらに活躍馬が出てくる可能性もあると思います。
人間とは異なる生物や,無生物に対してさえ僕たちは感情の模倣affectum imitatioをするのですが,感情の模倣の原点は,自分自身と似たところがあるという了解なのですから,人間は人間に対して最も感情を模倣することになります。そしてそのことが,別種の感情を発生させる要因になります。たとえば国際情勢にはまったく関心がないという人がいたとしても,もしその人が紛争地域で飢餓に苦しんでいる人の映像を目撃するということがあれば,その人は多かれ少なかれその苦しみを自分の苦しみとして感じざるを得ません。このことはこれ自体でみたなら,人間と人間との結びつきを強めることだといえます。実際に人間は,互いに互いの感情をわりと簡単に共有し合えるような関係にあるからこそ,とくに理性ratioに訴えるまでもなく,共同社会的な結びつきを産出し,またそれを維持していくことができるようになっているということは,当該部分で吉田がいっている通り,事実だといえるでしょう。
しかし一方で,ここで示した例でいえば,ネコを虐待する男や地蔵を破壊する人,そして難民を生み出す国家Imperiumの専制者などは,僕たちが感情の模倣によって悲しみtristitiaを感じるがゆえに,その悲しみの原因causaとして僕たちに意識されることになります。つまり僕たちはこの者たちに対しては第三部諸感情の定義七にある憎しみodiumを感じることになるでしょう。だから第三部定理二三にあるように,その者たちが悲しんでいるのを表象すれば,僕たちは喜びlaetitiaを感じることになるでしょう。前もっていっておいたように,この喜びは基礎が固いものではなく,心情の葛藤animi conflictusを伴なわずにはいられないような喜びではありますが,それでも喜びを感じるということは否定できません。なので第三部定理二四にあるように,その者を悲しませるようなだれかが存在すると表象するimaginariなら,その人は自身の喜びの原因として意識されることになるので,今度はその人に対して第三部諸感情の定義六の愛amorを感じるようになるのです。
このようにして僕たちは,それまで何の関係もなかった他人のことを,自身にとっての味方あるいは敵というように次々に峻別していくことになります。これが人間の現実的本性actualis essentiaなのです。

ナイスレイズは1994年にアメリカで産まれました。繁殖生活は日本で送っています。ファミリーナンバーは10。
2頭の牝馬を産んだ後,3頭目に牡馬が誕生。この牡馬がメイショウボーラーです。
これ以降,オープンを勝ったり重賞で入着するような馬は出ていたのですが,重賞および南関東重賞の勝ち馬は出ていませんでした。
これを打ち破ったのが,メイショウボーラーの3つ下の半妹の孫にあたるギャルダル。一昨年のフジノウェーブ記念を勝ちました。さらに昨年のフジノウェーブ記念も勝って連覇を達成。現役を続けています。
ギャルダルの3つ下の半妹がミスカッレーラ。一昨年のローレル賞を勝っています。先月のオープンを勝っていますので,また南関東重賞を制覇できるかもしれません。
プラウドフレールはミスカッレーラのひとつ下の半妹になります。3きょうだいを産んだ牝馬は競走成績は1戦しただけで15着だったのですが,繁殖牝馬としてはかなり優秀だったことになります。
無事ならばミスカッレーラもプラウドフレールも繁殖牝馬になるでしょう。なのでこの系統はまだ続くでしょうし,さらに活躍馬が出てくる可能性もあると思います。
人間とは異なる生物や,無生物に対してさえ僕たちは感情の模倣affectum imitatioをするのですが,感情の模倣の原点は,自分自身と似たところがあるという了解なのですから,人間は人間に対して最も感情を模倣することになります。そしてそのことが,別種の感情を発生させる要因になります。たとえば国際情勢にはまったく関心がないという人がいたとしても,もしその人が紛争地域で飢餓に苦しんでいる人の映像を目撃するということがあれば,その人は多かれ少なかれその苦しみを自分の苦しみとして感じざるを得ません。このことはこれ自体でみたなら,人間と人間との結びつきを強めることだといえます。実際に人間は,互いに互いの感情をわりと簡単に共有し合えるような関係にあるからこそ,とくに理性ratioに訴えるまでもなく,共同社会的な結びつきを産出し,またそれを維持していくことができるようになっているということは,当該部分で吉田がいっている通り,事実だといえるでしょう。
しかし一方で,ここで示した例でいえば,ネコを虐待する男や地蔵を破壊する人,そして難民を生み出す国家Imperiumの専制者などは,僕たちが感情の模倣によって悲しみtristitiaを感じるがゆえに,その悲しみの原因causaとして僕たちに意識されることになります。つまり僕たちはこの者たちに対しては第三部諸感情の定義七にある憎しみodiumを感じることになるでしょう。だから第三部定理二三にあるように,その者たちが悲しんでいるのを表象すれば,僕たちは喜びlaetitiaを感じることになるでしょう。前もっていっておいたように,この喜びは基礎が固いものではなく,心情の葛藤animi conflictusを伴なわずにはいられないような喜びではありますが,それでも喜びを感じるということは否定できません。なので第三部定理二四にあるように,その者を悲しませるようなだれかが存在すると表象するimaginariなら,その人は自身の喜びの原因として意識されることになるので,今度はその人に対して第三部諸感情の定義六の愛amorを感じるようになるのです。
このようにして僕たちは,それまで何の関係もなかった他人のことを,自身にとっての味方あるいは敵というように次々に峻別していくことになります。これが人間の現実的本性actualis essentiaなのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます