スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

「火の国杯争奪戦」in久留米&同一説の根拠

2023-10-10 18:56:27 | 競輪
 久留米競輪場で開催された昨日の熊本記念の決勝。並びは新山‐菅田‐永沢の北日本と松岡‐嘉永‐中本‐塚本の熊本で郡司と山田は単騎。
 中本がスタートを取って松岡の前受け。5番手に郡司,6番手に新山,最後尾に山田で周回。残り2周のホームに入る手前から新山が上昇。松岡が突っ張ったのでバックで新山は引くことになりました。この間に山田が郡司の後ろにスイッチしたので,新山が7番手まで下がった一列棒状になって打鐘。動きがないままバックに入って嘉永が発進。これで新山は不発。直線は嘉永の番手から出た中本が嘉永を差し切って優勝。嘉永が4分の1車輪差の2着に残り熊本のワンツー。塚本の後ろから外を追い込んだ郡司が4分の1車輪差で3着。
 優勝した熊本の中本匠栄選手は2020年の共同通信社杯を勝っていますが記念競輪は初優勝。このレースは久留米での開催とはいえ地元といえる熊本勢が4人ということで,松岡の先行が有力。分断もなさそうなので最有力候補は番手の嘉永。脚力上位は郡司と新山ですが,ラインが4人なのでそのふたりよりも嘉永の番手の中本が優勝候補の2番手ではないかと考えていました。結果的に僕が考えていたような結果となりましたので,4人でラインを組むことができたということが大きかったといえるでしょう。

 同一説を主張するなら,その根拠は『エチカ』そのものの中に見出すことができます。第二部定理七備考で,延長Extensioの様態modiとその様態の観念ideaは同一物であるとスピノザはいっているからです。延長の様態は,無限様態modus infinitusを除けば物体corpusを意味しますので,物体とその物体の観念は同一物であるとスピノザはいっていることになります。
                                   
 これは直接的に同一説を主張していると読解できますから,平行論を主張する場合はこれをどう解釈するかが問題となります。そのことについて先に説明しておきましょう。
 ここでは物体とその物体の観念が同一物であるといわれています。ただし,物体と物体の観念が実在的にrealiter区別されるということはスピノザは認めています。第三部定理二は,延長の属性Extensionis attributumと思惟の属性Cogitationis attributumが実在的に区別されるということを前提として証明されているといえるからです。
 もしもAとBとが何らかの仕方で区別されるのであれば,それは異なるものであって同一物と考えることはできません。第一部定理五は,AとBとを区別することができないのであれば,AとBは同一物であるということを前提として証明されています。これは逆に,AとBが区別できるのであれば別のものであるといっているのに等しいといわなければなりません。つまりスピノザはこのことも認めているのです。
 これらのことから,物体とその物体の観念は区別することができるので,別のものであるという解釈が成り立つでしょう。これが平行論を主張する場合のこの箇所の解釈になります。つまりここではスピノザは物体とその物体の観念は同一物であるといっているのですが,それは文字通りに同一物ということを意味するのではなく,平行論における同一個体であるという意味だと解釈するのです。
 スピノザはこの直前に,思惟する実体substantiaと延長した実体は同一の実体であるといっています。これは,無限に多くのinfinita属性attributumによって構成される神Deusについてそのようにいわれていると解することができます。ただ,ここで思惟する実体といわれているのは,延長の実体を対象として思惟する実体と解さなければなりません。思惟する実体は無限に多くあるといわなければならないからです。
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