スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

コーフィールドカップ&一致点

2023-10-21 19:06:55 | 海外競馬
 オーストラリアのコーフィールド競馬場で行われたコーフィールドカップGⅠ芝2400m。
 このレースは前にいこうとした馬が多く,普通の発馬となったブレークアップは自然と8番手という位置取りになって発走後の正面を通過。向正面に入ったあたりで先頭からの差は7馬身くらい。出走馬が縦2列に並ぶような隊列でした。3コーナーを回ってから漸進していき前から4馬身差くらいに。この時点で前にいたのは4頭で,その4頭の外に出して直線へ。内に1頭入られましたが,残り300mあたりでは前にいた馬たちと雁行状態に。しかしそこからの伸びを欠いて,最終的には勝ち馬から5馬身4分の3差ほどの8着でした。
 この馬は昨年のアルゼンチン共和国杯を勝っているのですが,大レースでは通用していませんでした。それでも長距離戦のレベルはオセアニアより日本の方がはっきりと高いですから,通用するかもしれないとは思っていました。直線でタイトなレースになってしまった面はありますが,瞬発力を欠いたというような内容だったと思います。大レースで最も善戦したのは天皇賞(春)ですから,もっと距離が延びた方が通用する可能性は高くなりそうです。

 スピノザは第三部定理五七備考では,非理性的動物の感情affectusについて言及しています。ですからスピノザが厳密に感情が人間に特有のものであると考えているわけではありません。ただ,『エチカ』の対象は人間であるがゆえに,第三部諸感情の定義一では,欲望が人間の本性natura humanaに限定されているのです。備考Scholiumでは馬は馬らしい情欲libidoに駆られるとスピノザはいっていますが,情欲というのは欲望の一種であるとしか考えられません。ですから少なくとも馬が欲望を有することをスピノザは認めていると僕は考えます。なのでこの点に関してはとくに問題視することはないでしょう。
                                   
 第三部定理七の,自己の有に固執するin suo esse perseverareということは,ホッブズThomas Hobbesがいうところの,自分自身の生命を維持するということと関連付けて解釈することは可能でしょう。人間が自分自身の生命を維持するということと,人間が自己の有に固執するということは,いい方が異なっているだけで同じことをいっていると考えることはできるからです。ホッブズにとってはこれは自然権jus naturaeの目的finisのようなものであって,自然権というのはそのために自分の意志する通りに自分の力potentiaを用いる権利のことを意味するのでした。ですから,その部分をスピノザがいう自然権に適用することはできないとしても,たとえば,人間が自己の有に固執するためにその人間が力を行使する権利を自然権という,というよういえば,ホッブズがそのことに大きく反対するように思えません。なのでこの点は,ホッブズとスピノザとの間で一致させることが可能であると僕は考えます。
 ただし,スピノザがいうコナトゥスconatusというのは,それ自体が力という側面を有しているので,このような仕方でホッブズとスピノザとの間に折り合いをつけようとする場合には,注意しておかなければならないことがあります。存在するということは力であり,存在し得ないということは力と反対の意味で無力impotentiaを意味します。これはスピノザが第一部定理一一を証明するときに用いていることなので,スピノザは否定しませんし,ホッブズが否定するnegare必要は何もありません。だから,自己の有に固執するとは,自己の力に固執するということを同時に意味します。
コメント
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