日本時間で昨日の深夜にフランスのパリロンシャン競馬場で行われた凱旋門賞GⅠ芝2400m。
スルーセブンシーズは両隣の馬たちと比べると半馬身ほど遅れました。そのまま無理せずに控えて道中は13番手の内という位置。少しばかり行きたがっているようにも見えましたが,折り合いを欠くというほどではありませんでした。馬群が密集してのレースでしたので,先頭からは8馬身くらい。直線は外には出さず,前の馬群の隙間に突っ込んでいってそれを捌きながら伸びる形。フィニッシュまで止まることなく伸びて勝ち馬から約3馬身差の4着でした。
この馬は前走の宝塚記念でイクイノックスと差がない2着だったとはいえ,重賞は中山牝馬ステークスを勝っているだけ。その実績と,5歳の牝馬が宝塚記念レース以来の久々で初めてフランスで走ったということまで合わせて考えれば,上々の結果であると思います。真直ぐに伸びることができればもっと差を詰めることができたかもしれませんが,そのためには道中の位置取りが実際のレースとは異なっていなければならなかったでしょうから,同じような結果を得られたとも限らないのではないでしょうか。凱旋門賞としてはかなり早いタイムでの決着になりましたが,その点はプラスに作用していたのだろうと思います。
『スピノザーナ11号』の巻頭言に関する考察はこれで終了とします。
巻頭言の直後に工藤喜作の訃報があり,その後に工藤へのインタビューがあります。インタビュアーは桜井直文と高木久夫です。このインタビューは2010年1月10日に,横須賀市内にある,そのときの工藤が入院していた病院の食堂で行われました。工藤は前立腺癌で入院していたのですが,1月22日に死んでいますから,本当に死の直前のインタビューであったことになります。工藤本人についていっておきたいことが僕にはひとつありますが,そのことは後にして,ここではこのインタビューの中の工藤の発言について,補足のような形で説明します。
工藤は,スピノザの哲学は心身の平行論であるといわれるけれど,実際は心身の同一説であるという主旨のことをいっています。これは以前に僕も考察したことがあるのですが,ここで改めて僕の解釈と,工藤のような解釈の利点について述べておきます。
まず,心身平行論と心身同一説のどちらをスピノザの哲学が採用しているかと問われれば,僕は心身平行論を採用していると考えます。このインタビューの中でもいわれているように,一般的に平行論は第二部定理七によって説明されます。観念ideaと観念対象ideatumの間には一切の因果関係はないのだけれど,観念の原因causaと結果effectusの連結connexioと秩序ordoは,観念対象の原因と結果の連結と秩序に一致するというのがその根拠になります。ただしこのことは,だから観念と観念対象というのは同一事物のふたつの側面であるということもできるのであって,つまりこの定理Propositioは心身同一説の根拠にもなり得ると僕は考えます。そしてこの定理に依拠する限り,観念と観念対象を別の事物と考えてもよいし,同一事物の別の側面と考えてもよいと僕には思えます。これらのどちらの説を採用したとしても,スピノザの哲学の解釈は成立する,他面からいえば,それで解釈上の大きな誤りerrorが生じることはないからです。ですから,実のところ平行論と同一説は,少なくともこの定理でいわれていることから解釈する限り,必ずしも対立するというわけではなくて,両立させることさえ可能であると僕は考えています。
スルーセブンシーズは両隣の馬たちと比べると半馬身ほど遅れました。そのまま無理せずに控えて道中は13番手の内という位置。少しばかり行きたがっているようにも見えましたが,折り合いを欠くというほどではありませんでした。馬群が密集してのレースでしたので,先頭からは8馬身くらい。直線は外には出さず,前の馬群の隙間に突っ込んでいってそれを捌きながら伸びる形。フィニッシュまで止まることなく伸びて勝ち馬から約3馬身差の4着でした。
この馬は前走の宝塚記念でイクイノックスと差がない2着だったとはいえ,重賞は中山牝馬ステークスを勝っているだけ。その実績と,5歳の牝馬が宝塚記念レース以来の久々で初めてフランスで走ったということまで合わせて考えれば,上々の結果であると思います。真直ぐに伸びることができればもっと差を詰めることができたかもしれませんが,そのためには道中の位置取りが実際のレースとは異なっていなければならなかったでしょうから,同じような結果を得られたとも限らないのではないでしょうか。凱旋門賞としてはかなり早いタイムでの決着になりましたが,その点はプラスに作用していたのだろうと思います。
『スピノザーナ11号』の巻頭言に関する考察はこれで終了とします。
巻頭言の直後に工藤喜作の訃報があり,その後に工藤へのインタビューがあります。インタビュアーは桜井直文と高木久夫です。このインタビューは2010年1月10日に,横須賀市内にある,そのときの工藤が入院していた病院の食堂で行われました。工藤は前立腺癌で入院していたのですが,1月22日に死んでいますから,本当に死の直前のインタビューであったことになります。工藤本人についていっておきたいことが僕にはひとつありますが,そのことは後にして,ここではこのインタビューの中の工藤の発言について,補足のような形で説明します。
工藤は,スピノザの哲学は心身の平行論であるといわれるけれど,実際は心身の同一説であるという主旨のことをいっています。これは以前に僕も考察したことがあるのですが,ここで改めて僕の解釈と,工藤のような解釈の利点について述べておきます。
まず,心身平行論と心身同一説のどちらをスピノザの哲学が採用しているかと問われれば,僕は心身平行論を採用していると考えます。このインタビューの中でもいわれているように,一般的に平行論は第二部定理七によって説明されます。観念ideaと観念対象ideatumの間には一切の因果関係はないのだけれど,観念の原因causaと結果effectusの連結connexioと秩序ordoは,観念対象の原因と結果の連結と秩序に一致するというのがその根拠になります。ただしこのことは,だから観念と観念対象というのは同一事物のふたつの側面であるということもできるのであって,つまりこの定理Propositioは心身同一説の根拠にもなり得ると僕は考えます。そしてこの定理に依拠する限り,観念と観念対象を別の事物と考えてもよいし,同一事物の別の側面と考えてもよいと僕には思えます。これらのどちらの説を採用したとしても,スピノザの哲学の解釈は成立する,他面からいえば,それで解釈上の大きな誤りerrorが生じることはないからです。ですから,実のところ平行論と同一説は,少なくともこの定理でいわれていることから解釈する限り,必ずしも対立するというわけではなくて,両立させることさえ可能であると僕は考えています。