スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

競馬法100周年記念天皇賞(秋)&理念的状態

2023-10-29 19:51:16 | 中央競馬
 第168回天皇賞(秋)。武豊騎手が5レースの終了後に騎乗していた馬に蹴られて右の太腿を負傷したためドウデュースは戸崎騎手に変更。
 逃げたのはジャックドール。向正面の周回コースに入って4馬身くらいまでリードを広げました。2番手にガイアフォースで3番手にイクイノックス。4番手がノースブリッジとヒシイグアス。6番手にドウデュースとアドマイヤハダル。8番手がエヒト。9番手にダノンベルーガ。2馬身差でジャスティンパレス。3馬身差の最後尾にプログノーシス。前半の1000mは57秒7のミドルペース。
 3コーナー付近でジャックドールのリードは2馬身くらいに。コーナーではイクイノックスが単独の3番手となり,2番手のガイアフォースとの差は3馬身くらい。直線の入口で馬群が凝縮。坂に入ってガイアフォースが先頭に立ったものの,イクイノックスがほぼ持ったままで並び掛けると仕掛けられて抜け出し,後は引き離してレコードタイムで快勝。馬場の外からダノンベルーガ,プログノーシス,ジャスティンパレスの3頭が並んで追い込み,ガイアフォースを差して2着争い。大外のジャスティンパレスが2馬身半差で2着。真中のプログノーシスが1馬身4分の1差で3着。内のダノンベルーガはアタマ差の4着。
 優勝したイクイノックスはこれが宝塚記念以来のレース。5連勝で大レース5勝目。第166回に続き天皇賞(秋)は連覇。ここははっきりと能力上位といえるメンバー構成で,不利も生じにくい頭数となりましたので,よほどのことがない限りは勝つだろうと思っていました。タイムはさすがに早すぎる感がありますが,無理をしたような内容ではありませんから,通常以上の負担がかかったということはないのではないかと思います。父は第156回を制したキタサンブラックで父仔制覇。母の父はキングヘイロー。4代母がブランシュレインで母は2015年にマーメイドステークスを勝ったシャトーブランシュ。ひとつ上の半兄が2021年にラジオNIKKEI賞を勝ったヴァイスメテオール。Equinoxは春分と秋分。
                                        
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手は菊花賞に続く大レース制覇。第158回,160回,162回,166回に続き,連覇となる天皇賞(秋)5勝目。第159回,161回,167回に続き天皇賞は三連覇となる8勝目。管理している木村哲也調教師は宝塚記念以来の大レース7勝目。第166回からの連覇で天皇賞(秋)は連覇となる2勝目。天皇賞も2勝目。

 ここまでの考察から,ホッブズThomas Hobbesがいうような,万人の万人に対する戦争状態とされる自然状態status naturalisというものが,あくまでも理念的なものであって,実際に人類がそういう状態を経験したというわけではないということは明らかになったと思います。また同時に,スピノザがいっているように,人間は国家状態においても自然権jus naturaeを全面的に放棄したり譲渡したりするというわけではなく,むしろ国家Imperiumの中においても,ホッブズがいうのと同じような自然状態において保持している自然権を,そっくりそのまま有しているということも明白になったと思います。乳児は自然権によって泣き,養育者は自然権によって乳児を養育するのであれば,そのことは自然状態であろうと国家の中においてであろうと同様であるからです。
 ただし,僕は次のことは認めます。
 ひとりの乳児を養育するというときに,ひとりの養育者で養育するよりも,何人かで協力して養育することによって,質の面でも量の面でもよりよい養育を行うことができます。このことはそれ自体で明らかでしょう。養育者は自然権に基づいて乳児を養育するのですから,何人かで協力することによってひとりの乳児を養育すればよりよく養育することができるのであれば,それは養育者の自然権が拡充しているということになります。ですから自然権を拡充するために,ある養育者が別の養育者と協力するということはあり得るのであって,そのときに養育者たちは互いに互いの自然権だけを行使することは放棄していることになります。
 ごく一般的にいえば,人間はひとりで何かをするよりも,何人かで協力してそれをなす方がより多くのことをなし得るのであって,そのときに協力する人が多くなればなるほどより多くのことをなし得ることになります。よってこのような方向で国家の形成あるいは社会契約説というのを理解することは,必ずしも理念的なものではないのであって,少なくとも部分的には実在的な意味をもち得ることになるでしょう。他面からいえば,自然権という概念notio,あるいは社会契約という概念を用いて国家を理解するのであれば,こういう方向で理解するのが適切だと僕は考えているのです。
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