スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&養育者の自然権

2023-10-28 18:50:31 | 将棋
 25日と26日に旧安川邸で指された第36期竜王戦七番勝負第三局。
 伊藤匠七段の先手で相掛り。歩を得した先手が棒銀で攻め込み,それに対して後手の藤井聡太竜王が受けるのではなく反撃するという将棋。この将棋は後手の強さが際立ったという感想しか残りません。
                                        
 第1図まで後手が踏み込んでいるのも驚きなのですが,ここからさらに☖5九角☗7九玉☖4八角成☗3九歩の王手まで決めておいて☖3三桂と取りました。
 今度は先手の攻めのターンで☗同飛成☖3二金☗4二銀☖同金☗5四桂。
                                        
 第2図まで進むと後手玉は部分的には受けはありません。ただ,☖3九龍と歩を取る手が王手となり,これに対して☗同龍と取るしかないので受かるという仕組みです。
 第2図というのは前から想定される局面ですから,このように進んでも大丈夫という読みが後手にはかなり前からあって,そのためにこのように進めているわけです。前々から深く読んで実際に第2図に進めるのはよほど読みに自信がなければできない筈で,これが現在の藤井竜王の強さの原点になっていると僕には思えるのです。
 藤井竜王が勝って3連勝。第四局は来月10日と11日に指される予定です。

 人類の滅亡を防ぐためには,乳児がひとりで生きていくことができない以上,人類は乳児を養育する必要があります。いい換えれば人類にはそうしたコナトゥスconatusがあるといわなければなりません。ですから現実的に存在するある人間が,現実的に存在する乳児を養育するということは,その人間のコナトゥスであるということができるのです。つまり乳児が泣くことで何事かを要求することがその乳児のコナトゥスであるとみなすことができるのと同様に,養育者が乳児を養育することもその人間のコナトゥスであるということができるのであり,したがって乳児が泣くことが乳児の自然権jus naturaeであるのと同様に,養育者が乳児を養育することも養育者の自然権に属するといえるのです。
 こうしたことは,スピノザが自然権というのを人間に特有の権利としていないことといくらかの関係をもっています。人類は人類の自然権を行使し,またたとえば馬は馬の自然権を行使しといった具合に各々の個物res singularisがそれぞれに自然権を行使する中で,乳児を養育することが自然権になる個物もあればそうでない個物もあることになります。他面からいえば,人類は人類の自然権に基づいて人類の乳児を養育するのであって,それ以外の個物の自然権に関してそれに留意する必要はないのです。要するに,いわゆるスピノザの哲学における人間中心主義というのがここから帰結してくるのであって,人類は人類の自然権に基づいて,人類以外の自然Naturaについては思うままにそれを利用する権利を有するということになるでしょう。環境保護とか動物愛護といった思想が,スピノザの哲学と相性が悪くなる理由はこの点に存するといえます。
 ただ,自然権はコナトゥスに由来するのですから,それが人類のコナトゥスに反する限りでは,環境保護とか動物愛護といった思想もスピノザの哲学から出てこないわけではありません。たとえばある自然を破壊していくことが人類の滅亡を招くのであれば,それは人類のコナトゥスにむしろ反することになりますから,それが人類の自然権に属するとはいえません。要はこうしたこともすべて人類の利益および害悪から人間によって判断されることになるのです。
コメント
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