スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

秋華賞&特有のテーゼ

2023-10-15 19:50:05 | 中央競馬
 第28回秋華賞
 エミューはタイミングが合わずに1馬身の不利。コナコーストが逃げて2番手にミシシッピテソーロ。3番手はフェステスバントとラヴェル。5番手にハーパーとソレイユヴィータで7番手がリバティアイランド。8番手にマラキナイア。9番手にドゥーラとドゥアイズとピピオラ。2馬身差でコンクシェル。その後ろをマスクトディーヴァとモリアーナが併走。2馬身差の最後尾にエミューという隊列。前半の1000mは61秒9の超スローペース。
 向正面で外に出したリバティアイランドは3コーナーを回ると外を捲り上げていき,コナコースト,ミシシッピテソーロ,ラヴェル,リバティアイランドで雁行。直線の入口では捲り切ったリバティアイランドが単独の先頭に。雁行していた馬たちを置き去りにすると後方からの追い込みも凌いで優勝。大外から一気に伸びてきたマスクトディーヴァが詰め寄ったものの1馬身差で2着。リバティアイランドと雁行していた馬たちのすぐ外から脚を伸ばしたハーパーが2馬身半差で3着。マスクトディーヴァの内から追い込んだドゥーラがハナ差で4着。
 優勝したリバティアイランドはこれがオークス以来のレース。これで大レース4連勝となりました。能力は圧倒的だったので,桜花賞のときのような位置取りにならない限りは勝てるだろうとみていました。内回りコースなので安全策を採用して外を回って直線の入口では先頭というレースをしたために,最後は追い込み馬に差を詰められる形になったのですが,こういう競馬で1馬身の差をつけたということは,本来の能力差はもう少しあるとみてよいでしょう。ジャパンカップへの出走を望みます。父はドゥラメンテ
                                        
 騎乗した川田将雅騎手スプリンターズステークスに続いての大レース40勝目。秋華賞は初勝利。管理している中内田充正調教師はオークス以来の大レース8勝目。秋華賞は初勝利。

 働くagereとは能動actioを意味し,働きを受けるpatiとは受動passioを意味します。現実的に存在するある人間の精神mens humanaとその人間の身体humanum corpusは,同じ人間のふたつの側面ですから,ある人間の精神の能動が身体の能動であり,精神の受動が身体の受動であることは当然ですし,身体の受動が精神の受動であり,身体の能動が精神の能動でもあるということも,当然といえば当然です。そしてこの当然のことが,第三部定理二を同一説から証明することの前提条件になります。
 仮に,人間の精神がその人間の身体を何らかの運動motusに決定するdeterminareことができるとしてみましょう。このとき,人間の精神は自分の身体を運動に決定しているのですから能動状態にあることになります。一方で身体の方は,自分の精神によって運動に決定されているのですから受動状態であることになるでしょう。つまり,ある人間の精神が自分の身体を運動に決定するときは,精神の能動に対して身体の受動になってしまうので不条理なのです。よって,ある人間の精神が自分の身体を運動に決定するということは不可能だといわなければなりません。ある人間の身体がその人間の精神を何らかの思惟作用に決定することができないということも,これと同じ論理によって証明することができます。すなわちこちらの場合には,人間の身体の能動がその人間の精神の受動となってしまうからです。このような仕方で第三部定理二は,人間の身体とその人間の精神の区別distinguereが実在的区別であるという平行論の論理に依拠せずに証明することができるのです。
 これは一例ではありますが,この場合のように,人間の精神とその人間の身体は同一物のふたつの側面であるから,一方の能動は他方の能動で,一方の受動は他方の受動でなければならないという類の秩序ordoを設定することで,平行論の論理によって証明されている大概のことは,同一説を用いることでも証明することができます。第三部定理二のような定理Propositioは,人間の精神と身体の間に因果関係が生じないということを,平行論からは直接的に導くことができるので,同一説より優れているのは間違いありませんが,それに特有のテーゼを用いれば,同一説の難点は解消することができます。
コメント
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