スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

オルデンブルクの質問&盆踊り

2023-07-01 19:12:04 | 哲学
 書簡三十三オルデンブルクHeinrich Ordenburgがスピノザに尋ねているパレスチナへのユダヤ人の帰還については,ユダヤ人だけの関心事ではなかったので,オルデンブルクがそれに関心を抱いたということは不思議ではありません。この当時のユダヤ人は,アムステルダムAmsterdamに最も多く集まっていましたから,オランダにいるスピノザに対してオルデンブルクが尋ねたのも当然のことのように思えます。たぶんこの書簡にはスピノザからの返信があって,その中でスピノザは何らかの答えを示したのかもしれません。ただその書簡は発見に至っていませんから,仮にスピノザが何らかの答えをしていたとしても,それがどのようなものであったのかは不明です。『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』を読む限り,いずれはユダヤ人がパレスチナへの帰還を果たすとスピノザはみていたと思われるのですが,これとて推測にすぎません。ですから,この時点でスピノザがそれをどう考えていたのかということも,断定することはできないのであって,現実的ではないとスピノザが考えていたであろうというのも,僕の推測であるということには注意しておいてください。
                                        
 オルデンブルクがスピノザに尋ねたのは当然のように思えますが,ただ,スピノザにこれを尋ねることが適切であったのかということにはいくらかの疑問が残ります。というのも,スピノザ自身がユダヤ人であって,かつユダヤ教から破門された,あるいはユダヤ人共同体から追放された人であったからです。そのようなスピノザに,アムステルダムのユダヤ人たちがこの件をどのように受け止めているのかということを尋ねたところで,スピノザがそれを詳しく知り得るような立場にはないということを,オルデンブルクは知っていたと思われるからです。
 スピノザがユダヤ人であるということ,そしてユダヤ教から破門されたためにアムステルダムのユダヤ人共同体を離れて暮らしているということは,オルデンブルクは知っていた筈です。しかしこのことについても,確証しておくことが必要でしょう。

 8月16日,火曜日。午前11時25分にお寺の奥さんから電話がありました。9月の彼岸会の日時の連絡でした。もしも妹が家にいると,彼岸会に行くことができなくなります。妹の帰宅などの日程は事前にグループホームに伝えておかなければなりませんから,彼岸会の日程については早めに知っておく必要がありました。
 8月17日,水曜日。妹の夏季休暇は16日まででしたので,この日に通所施設に送りました。
 8月19日,金曜日。午後9時にピアノの先生から電話がありました。先月のピアノのレッスンは,グループホームからの指示,というかこれは保健所からの指示ですが,それによって妹が当日に家に帰ってくることができませんでしたので,中止になっていました。そしてその時点では,その後の見通しが何も立っていませんでしたから,次のレッスンをいつにするのかということも決めていなかったのです。このときの電話で,翌週にレッスンをすることに決まりました。通常はレッスン日の直前日か前々日に決める開始時刻も,このときの電話で決めておきました。
 8月20日,土曜日。妹の土曜レクリエーションでした。この日は盆踊りをしたそうです。この盆踊りというのは正式な地区行事ではなく,グループホーム内でグループホームの職員と利用者だけが参加するものです。
 土曜レクリエーションは,基本的に月に1日あるけれども例外があるということを,前に書いたことがあるかと思います。その例外というのは,その月に祝日がない場合には行われないというものです。現在の日本で祝日がない月は6月だけですから,6月には土曜レクリエーションはありません。では6月だけかというと,厳密にはそうではないのです。その月の祝日が土曜であるという場合は,土曜レクリエーションは行われることがありません。たとえば今年の4月は29日が昭和の日で祝日だったのですが,これが土曜日に重なっていました。こういう場合はその月は土曜レクリエーションは行われないという決まりになっています。よって今年の4月は土曜レクリエーションがありませんでした。
 8月25日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
コメント
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