スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

第四部定理六六&墓参り

2023-07-31 19:16:47 | 哲学
 スピノザは第四部定理六六で次のようにいっています。
                                   
 「理性の導きに従って我々は,より小なる現在の善よりはより大なる未来の善を,またより大なる未来の悪よりはより小なる現在の悪を欲求するであろう」。
 簡潔に理解するためにここでは次のような例を用います。
 今,100円をもらえるとして,それを断れば明日には1000円がもらえるという状況があるとします。この場合,よほど今日の100円を必要としているとか,明日まで生きている保証がないというような特殊な状況でない限り,僕たちは今日の100円よりも明日の1000円をもらうでしょう。これは,100円をもらうことも1000円をもらうこともそれ自体では善bonumであって,しかし1000円をもらう方がより大なる善であるので,より小なる今日の善よりもより大なる明日の善を欲求していることになり,この定理Propositioに合致します。これは100円をもらうことも1000円をもらうこともどちらも喜びlaetitiaで,1000円をもらう方が大なる喜びであるということに注意すれば,第四部定理八から明白です。
 厳密にいえば,僕たちはここに示した事情を,理性ratioに従って認識するcognoscereというより,第三種の認識cognitio tertii generisによって直観的に認識するのですから,この定理には合致しないということはできます。ただ,第三種の認識で認識することができる事柄は,必ず理性による推論によっても認識できますから,このことは不問に付してよいでしょう。
 このことがいえるのなら,人間の本性と善悪を関連付けて説明することができるようになります。今日の100円より明日の1000円を欲求することは人間の本性の型に合致するといえますし,一般的に現在の小なる善より未来の大なる善を欲求することは人間の本性の型に一致するということができるからです。
 このときに,第四部序言第四部定義二のように,malumを積極的に定義するのではなく,善の否定と定義することが役立つのです。

 1月8日,日曜日。お寺に行きました。8日は総講の日ですが,1月は寒参詣といって,総講は午前6時半からです。何度もいっているように僕は朝の6時半からお寺に行こうという気にはなれませんから,総講に出たわけではありません。年が変わってからお寺には行っていませんでした。僕がお寺に行く最大の目的は墓参りですから,新年に入ってからは墓参りに行っていなかったということです。なのでこの日に行ってきたのです。僕はこういう場合にも総講の日を選んでお寺に行きますが,これは理由があります。前にいったように,僕はお寺には本堂の入口から入るのですが,この本堂の入口は,日によっては鍵が掛かっていて,だれかに連絡して開けてもらわなければならないという場合があります。しかし総講が行われる日は,総講が終わった後でもだれかしら,ここでいうのは信者という意味で,何人かの信者はまだお寺に残っていますので,鍵が閉まっているということはありません。また,総講でない日にはどこかの檀家の御講が入っているというような場合もあり,その場合はお寺に入ることはできますが,御講をしている本堂を通り抜けるというのはなかなか気まずいものがあります。これらのことを避けるためには,総講の日にお寺に行って墓参りをするというのがベストなのです。
 1月11日,水曜日。前年の11月12日に始まった隣家の解体工事は,この日で完全に終了となりました。僕の家の北側にあった建物がなくなりましたので,家の北側は明るくなりました。ただ北側はトイレや風呂場などですから,明るくなったことの実利がそれほどあったというわけではありません。なお,現時点ではすでに建物が建っているのですが,以前に隣家が建っていた頃よりは,差し込む光の量は増えているような気がします。僕の家と新しく建った建物との間が,それまでの隣家との間よりも少し広くなっているのですが,そのことが影響しているのかもしれません。
 1月14日,土曜日。妹の土曜レクリエーションがありました。
 1月16日,月曜日。6日の眼科検診のときに予約を入れておいた歯科検診でI歯科に行きました。午前10時半からでした。
コメント
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