スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

印象的な将棋⑭-6&不安の共有

2018-01-20 21:49:39 | ポカと妙手etc
 ⑭-5の第2図で先手は銀を取って詰めろを掛けました。この銀は⑭-1の第2図で後手が王手で打った銀で,それ以降は先手にとって質駒になっていました。ですから取ろうと思えば取れる局面はあったのですが,ここで取ったのには,実戦には現れなかった変化が潜んでいたからです。
 ここで後手が☖7九銀と王手をしたとしましょう。
                                     
 これを☗同王と取ると☖8八馬☗同王☖6八飛と進みます。合駒は角か金か銀。どれでも同じなのでここでは仮に☗7八銀と打っておきます。これに対しては☖9九角と打ち☗同王にさらに☖9八金と捨てて☗同王に☖7八飛成と王手します。
                                     
 第2図の後手の持駒が銀二枚になっているのは7八の合駒が銀だったため。したがって角と銀か金と銀か銀二枚のいずれかになります。
 部分的にいうと第2図の先手玉は8八に合駒をする一手ですが,☖8六桂と打てば☗9九王なら☖9八銀,☗同歩なら☖8七銀と打てば詰みます。銀一枚は元から後手が持っていたので,7八の合駒は何であっても変わりません。
 ですが局面全体でいうと第2図は先手の勝ちです。というのは☗8八角と合駒すればそれが後手玉への王手にもなっていて,後手は☖8六桂とは打てないからです。なので⑭-5の第1図から,4四の龍を4一に移動させ,後手玉を3三におびき出した上で先手は8八の銀を取ったのです。
 後手がこの順を見破ったので実戦には現れませんでしたが,先手にとっては都合のよい変化が潜んでいたことになります。

 第四部定理五四備考では不安metusあるいは恐怖という感情affectusの有用性について語りながら,第四部定理六三備考では不安あるいは恐怖によって他人を支配することが退けられているのは,アルベルトAlbert Burghのような事例が現実的に発生するからです。したがってこれらは相反することをいっているようではありますが,実際には両立するといえます。
 アルベルトが書簡六十七のような手紙をスピノザに送ったのは,端的にいえばアルベルトは自身が信じるようになったローマカトリックの神Deusに対して,スピノザが信仰fidesを有していない,それどころか冒涜していると思っていたからで,これは間違いありません。ただ,スピノザが書簡七十六の方で指摘しているアルベルトの地獄に対する不安すなわち恐怖という感情に引き付けていうなら,スピノザにはそのような不安すなわち恐怖がなかったからだ,アルベルトの側からいえば,当然のこととして共有されなければならない不安あるいは恐怖をスピノザは共有していなかったからだということになります。そしてこの不安あるいは恐怖の共有についての表象imaginatioは,容易に排他的感情に変異し,排他的思想を産出するものであると僕は考えています。
 スピノザは書簡七十六では,アルベルトが恐れている地獄のことを迷信の唯一の原因といっています。つまりスピノザは地獄というものが存在するということ自体が迷信である,他面からいえば地獄は存在しないと考えているわけです。第三部諸感情の定義一三から分かるように,不安すなわち恐怖というのは,何らかの不確かな事物の観念ideaとともにでなければ生じることができない感情です。スピノザにとっては地獄が存在しないということは確かなことだったのですから,それに対して不安すなわち恐怖という感情は発生のしようがありません。ですからアルベルトが感じていたような感情をスピノザが共有していなかったということは確実です。
 一方,アルベルトはローマカトリック信者の一員として手紙をスピノザに送っています。よって,アルベルトはこの感情を自分だけが感じているとは思ってません。むしろ信者の間では共有されている感情であると認識していたと思われます。
コメント
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