スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

よさこい賞争覇戦&第二部定理四三証明の分析

2017-04-18 19:04:47 | 競輪
 被災地支援競輪として実施された高知記念の決勝。並びは深谷に芦沢,取鳥‐桑原の中国,原田‐小倉の徳島,井上‐松岡の九州で山本は単騎。
 スタートを取った深谷の前受け。3番手に原田,5番手に井上,7番手に山本,8番手に取鳥で周回。残り2周のホームから取鳥が上昇開始。山本が桑原の後ろに続きました。コーナーで原田も動き,井上も流れからここに続いたのでバックの入口では三列横並びのような形。深谷は引き,叩いたのは取鳥で先頭に。山本が続き,うまく内から原田を制した井上が4番手,6番手に原田,8番手に深谷の隊列に。打鐘になってもペースは上がらず,コーナーで3番手の山本が動いてホーム手前で取鳥を叩いて前に。すぐさま取鳥が発進してホームで叩き返して先行。先んじて動いた山本も3番手に入り直しました。4番手になった井上が発進の構えをみせましたが山本が牽制。松岡が迎え入れて井上は再び4番手。ここから原田が発進。続いた深谷もバックではさらに外に出して発進と捲り合戦に。大外の深谷のスピードが衰えず,前をすべて飲み込んで優勝。桑原の牽制で一時的に失速した原田が立て直して3車身差の2着。バックで立て直す間に原田と深谷に行かれてしまった井上もその後から捲って出て1車身半差の3着。
                                     
 優勝した愛知の深谷知広選手は昨年9月の青森記念以来となる記念競輪14勝目。高知記念は初優勝ですが,2012年2月に当地で西王座戦を優勝しています。だいぶ動きがあったレースになりましたが,前を取って引き,8番手になっても脚を温存して構えました。展開的には原田の方が有利だったかと思いますが,桑原の牽制での失速があったとはいえ,さらにその外から捲ってこれだけの着差をつけたのですから,内容的には強く,桑原の牽制がなかったとしても勝てたのではないかと思います。なかなか思うように走れず,もう3年近くもビッグの優勝から遠ざかっていますが,まだ27歳ですからこれからの選手ともいえ,復活を期待しています。

 どのようにして真理veritasが真理自身の規範となるかということ,いい換えれば真理自身が真理と虚偽falsitasを分かつかということを示しているのが第二部定理四三であるといえます。そしてこの定理Propositioのスピノザによる証明Demonstratioは,次のように分析できるのではないかと僕は考えています。
 スピノザも援用しているように,この論証にあたって最も重要なのは第二部定理二〇だと僕は考えます。そこでは人間の精神mens humanaの観念idea,すなわち人間の身体corpusの観念の観念idea ideaeも神Deusのうちにあるということが示されていました。このゆえに,ある人間の精神のうちにXの十全な観念idea adaequataがあるならば,その人間の精神のうちにはXの十全な観念の観念もあるのであって,その観念の観念は第二部定理一一系の意味によりその人間の精神のうちで十全であるというように論証は進められています。このことは,Xの観念が十全であるということをその人間の精神が知るということなのであり,したがってそれがXについての真理であるということをその人間は疑うことができないのです。だからXの十全な観念はそれ自身がXの真理と虚偽とを分かつのであり,一般に真理の規範は真理それ自身であるということになります。証明が成功しているということは僕も認めます。
 ただ,Xの十全な観念とXの十全な観念の観念というのは同一個体なのです。このことを無視してこの論証は成立しないと僕は考えます。してみると,ここでいわれているXの観念とXの観念の観念の関係は,Xの観念の観念だけに注目するなら,第二部定義四で示されている十全性より,第一部公理六でいわれている観念対象ideatumとの一致に重きが置かれているように僕には思えます。確かにXの観念の観念は,それ自体でこの人間の精神の本性を構成する限りでの神として説明されてはいるのですが,それが真理の規範となり得るのは,この観念の観念がその対象,すなわち観念と一致していて,そのことを精神が認識するからだと考えられるからです。
 もっとも,観念も観念の観念も,同じ人間の精神のうちにあるのであり,精神の外に形相的なものとしてあるのではないですから,この点についてはあまり気にしなくてもいいかもしれません。
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