⑬-3の第2図に至っては先手は受けることは難しくなりました。なのでまずは☗7四桂と王手。

後手は☖7三王と上に逃げ☗6二歩には☖5一金寄。ここで先手は☗2四歩と突きました。
これは相手にせずに☖7七馬と取ってしまい,先手が何で取っても☖7六歩と追撃して攻め合っていくのもあったかと思います。しかし2筋の歩を取ったところで何かあるようにも思えません。なので☖2四同歩と取りました。先手が何を指すかが注目でしたが☗同飛。

ただですけど☖同角と取ってくれるなら☗7六金と取れますから損をするわけではありません。むしろ狙いとしていえば勝負手といえるでしょう。
後手もこの順を予測していたわけではないと思います。しかし第2図で落ち着いて☖8五馬と引かれてみると先手には飛車取りだけが残った形。すぐに飛車を逃げずに☗6一歩成としましたがこれは無視されて☖7六歩と攻め合われ,仕方のない☗2三飛成に☖7七歩成以下,後手の快勝に終わりました。
現実的に存在するある人間の精神mens humanaのうちにある月の真の観念idea veraは,その人間の精神のうちにある月の誤った観念を排除することはできませんし,誤った観念が発生することを妨害することもできません。ただ,これをいう場合には,虚偽と誤謬は異なるという点に注意してください。すなわち,現実的に存在する人間の精神のうちに月の大きさに関する真の観念が存在しない場合には,この人間が月を知覚することによって,月の大きさについて単に虚偽falsitasの認識cognitioをするばかりでなく,それについて誤謬errorを犯す可能性があります。しかし月の大きさについての真の観念がある場合には,月を知覚することによって虚偽の認識をすることは妨げられませんが,誤謬を犯すことはあり得ないのです。つまり月の真の観念が月の誤った観念を排除することができないといっても,それは虚偽を排除することができないという意味であって,誤謬は排除します。つまりXの誤謬に対してXの真の観念は常に有益であることになります。と同時に,このことを知っているなら,虚偽の認識をすることは人間の精神の力potentiaであるとスピノザがみなしていることも,第二部定理一七備考から明らかです。
月の知覚は身体の変状corporis affectiones,affectiones corporisでした。よって人間の身体が外部の物体corpusに刺激を受ける場合には,月の大きさの例と同じ事柄が一般的に生じます。つまり一般的に真理veritasは虚偽を排除することができないということになるのです。第四部定理一がいっているのはそういうことになります。
今度はこれを意志作用volitioとの関係で考察しましょう。
人間の精神が月の真の大きさを認識するとき,いい換えれば月の大きさについての真の観念を有するとき,月がその大きさであることを肯定する意志作用が存在しなければなりません。これは僕たちが月を知覚する場合には存在し得ない意志作用ですから,真に認識する場合にその意志作用が存在するということは経験的にも明白であることが理解できると思います。一方で,そういう意志作用というのは,現にその大きさである月の観念がなければ存在し得ないことも明白でしょう。よって観念なしには意志作用が,意志作用なしには観念が,あることはできません。

後手は☖7三王と上に逃げ☗6二歩には☖5一金寄。ここで先手は☗2四歩と突きました。
これは相手にせずに☖7七馬と取ってしまい,先手が何で取っても☖7六歩と追撃して攻め合っていくのもあったかと思います。しかし2筋の歩を取ったところで何かあるようにも思えません。なので☖2四同歩と取りました。先手が何を指すかが注目でしたが☗同飛。

ただですけど☖同角と取ってくれるなら☗7六金と取れますから損をするわけではありません。むしろ狙いとしていえば勝負手といえるでしょう。
後手もこの順を予測していたわけではないと思います。しかし第2図で落ち着いて☖8五馬と引かれてみると先手には飛車取りだけが残った形。すぐに飛車を逃げずに☗6一歩成としましたがこれは無視されて☖7六歩と攻め合われ,仕方のない☗2三飛成に☖7七歩成以下,後手の快勝に終わりました。
現実的に存在するある人間の精神mens humanaのうちにある月の真の観念idea veraは,その人間の精神のうちにある月の誤った観念を排除することはできませんし,誤った観念が発生することを妨害することもできません。ただ,これをいう場合には,虚偽と誤謬は異なるという点に注意してください。すなわち,現実的に存在する人間の精神のうちに月の大きさに関する真の観念が存在しない場合には,この人間が月を知覚することによって,月の大きさについて単に虚偽falsitasの認識cognitioをするばかりでなく,それについて誤謬errorを犯す可能性があります。しかし月の大きさについての真の観念がある場合には,月を知覚することによって虚偽の認識をすることは妨げられませんが,誤謬を犯すことはあり得ないのです。つまり月の真の観念が月の誤った観念を排除することができないといっても,それは虚偽を排除することができないという意味であって,誤謬は排除します。つまりXの誤謬に対してXの真の観念は常に有益であることになります。と同時に,このことを知っているなら,虚偽の認識をすることは人間の精神の力potentiaであるとスピノザがみなしていることも,第二部定理一七備考から明らかです。
月の知覚は身体の変状corporis affectiones,affectiones corporisでした。よって人間の身体が外部の物体corpusに刺激を受ける場合には,月の大きさの例と同じ事柄が一般的に生じます。つまり一般的に真理veritasは虚偽を排除することができないということになるのです。第四部定理一がいっているのはそういうことになります。
今度はこれを意志作用volitioとの関係で考察しましょう。
人間の精神が月の真の大きさを認識するとき,いい換えれば月の大きさについての真の観念を有するとき,月がその大きさであることを肯定する意志作用が存在しなければなりません。これは僕たちが月を知覚する場合には存在し得ない意志作用ですから,真に認識する場合にその意志作用が存在するということは経験的にも明白であることが理解できると思います。一方で,そういう意志作用というのは,現にその大きさである月の観念がなければ存在し得ないことも明白でしょう。よって観念なしには意志作用が,意志作用なしには観念が,あることはできません。