スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

天皇賞(春)&理性による自己認識

2017-04-30 19:13:02 | 中央競馬
 第155回天皇賞(春)
 シャケトラ,ラブラドライト,スピリッツミノル,ゴールドアクターの4頭はあまり発馬がよくありませんでした。外の方からヤマカツライデンがハナを奪いにいき,キタサンブラックが2番手。遅れた発馬から今度は掛かってしまったシャケトラがアドマイヤデウスと並んでの3番手になり,シュヴァルグラン,ワンアンドオンリー,ファタモルガーナ,タマモベストプレイ,サトノダイヤモンドの順で発走後の向正面を通過。1周目の正面に入るところでヤマカツライデンは大逃げに。キタサンブラック,アドマイヤデウス,ワンアンドオンリーという隊列に変化し,また控えたシャケトラがシュヴァルグランと並んでその後ろ。ファタモルガーナとサトノダイヤモンドの併走で続きました。最初の1000mは58秒3で超ハイペース。
 2周目の向正面に入るところではさらにヤマカツライデンのリードは広がりました。キタサンブラックが変わらず単独の2番手。アドマイヤデウスとワンアンドオンリーが3番手で併走。シュヴァルグラン,シャケトラ,サトノダイヤモンドの順で続く隊列に。3コーナーあたりでヤマカツライデンのリードが6馬身ほどになり,キタサンブラックが自然と差を詰めていき直線手前で単独先頭に。ワンアンドオンリーは一杯,アドマイヤデウスも騎手の手が動いていて,シュヴァルグランが2番手に。ここから最内のアドマイヤデウスが盛り返してきて,シュヴァルグランの外からサトノダイヤモンド。しかしこの3頭は2着争い。直線先頭のキタサンブラックはそのリードを保ったままレコードタイムで快勝。シュヴァルグランが1馬身4分の1差で2着。外のサトノダイヤモンドがクビ差の3着で最内のアドマイヤデウスがクビ差で4着。
 優勝したキタサンブラック大阪杯から連勝で大レース5勝目。第153回に続き天皇賞(春)連覇。このレースは実力差がはっきりしていて,上位の馬に崩れる要素も少なそうと考えていたので,17頭が出走してきたことが意外でした。結果的にいうとレースにならなかったシャケトラ以外の実力馬が上位を占めることになり,しかもレコードタイムですから,かなり内容の濃いレースだったといえると思います。斤量差があって敗れていた3着馬に,同じ斤量で雪辱したことになるので,この馬が現役最強馬であるといってよいでしょう。以前より明らかに強くなっていて,そのレベルを維持し続けているのがこの馬の最もすごいところだと感じています。父は2004年のスプリングステークスを勝ったブラックタイド。母の父はサクラバクシンオー
                                     
 騎乗した武豊騎手は大阪杯に続いての大レース制覇。第99回,101回,103回,105回,119回,133回,153回と勝っていて連覇で天皇賞(春)8勝目。第100回,116回,120回,136回,138回を勝っていて天皇賞は13勝目。管理している清水久詞調教師は大阪杯に続く大レース制覇。天皇賞(春)は連覇で2勝目。全体でも2勝目。

 僕たちは第五部定理二二から第五部定理二三が論証されていくのを第二種の認識cognitio secundi generisによって十全に認識することができます。また第五部定理二三備考の中で,精神の眼Mentis enimは論証demonstrationesそのものであるといわれるとき,僕たちが第三種の認識cognitio tertii generisによって,現実的に存在する僕たちの精神にはある永遠性aeternitasが含まれていると認識できるということをスピノザは肯定していると解さなければなりません。したがって,もしもこのように認識される自分についての認識を自己認識というならば,スピノザの哲学においても十全な自己認識が可能になっているということになります。他面からいえば,個物の存在が現実的に存在すると把握される場合の自己認識は必然的に混乱した認識でなければならないのですが,それが神Deusの属性attributumに包容される限りで存在するといわれる場合についても,自己認識が可能になっているというように理解できることになります。
 しかし,僕の考え方でいえば,これは僕たちが普通に自己認識という場合の自己認識とは異なります。もっとはっきりといってしまえば自己認識であるというようには僕は解しません。つまり僕は現実的に存在する人間による自己認識は,十全な認識であることはできないと考えるのです。なぜこれらの第二種および第三種の認識を自己認識とは解せないのかということを,ここから説明していきましょう。
 第二種の認識の方については,これが一般的な認識であるから自己認識ではないと僕は解します。実際に,第五部定理二二も第五部定理二三も,現実的に存在する人間にとってはそれがだれであろうと妥当することが言及されています。そしてこれらの論証を僕たちはまさにそうしたものとして解します。したがってここではとくに自分について何かがいわれていると解するのでなく,一般に現実的に存在する人間について妥当する事柄が言及されているというように解するのです。つまりこれは現実的に存在する人間についての十全な認識なのであり,自分について特有の認識ではありません。第二部定理四四系二で,理性の本性natura Rationisに属するとされる認識が,現実的に存在する人間に適用される場合がここで具体的に示されていると考えます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする