三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

諫早城に行って来ました。

2022-06-10 16:50:08 | 城郭長崎

2022年6月2日(木)に長崎県諫早市の諫早城に行って来ました。

諫早城、今は諫早公園内の山城、戦国期文明10年(1478)伊佐早(現・諫早)地方を統一した西郷尚義がこの高城の地に築いた山城、北に本明川、南は絶壁に加え空堀を設けた、四代西郷信尚は九州征伐の豊臣秀吉に従わず滅亡、天正15年(1587)竜造寺家晴が治める。

諫早城縄張り図。

眼鏡橋を渡ると大手門・・・此処より山城へ入ります。

石段の道を上がります、大きく曲がりチョットした広場(曲輪)。

説明版が各所にある、折坂虎口と在ります・・・出入り口です。

なおも。登坂が続きます、横矢掛かりですね(横上方面から細い道筋を通る所を上横から攻めるのです。

左上が東の丸、道は本丸へ・・・・・横矢掛かり・・・見やすいですね。

本丸前の切岸(高い塀でブロック)、此処は東の丸の虎口、正面横が本丸への入り口(本当は入り口をずらすのですが公園で付け替えたのかな?)。

東の丸・・・右側は本丸、本丸沿いに帯曲輪が構築されています、この下が折坂虎口。

本丸への虎口。

東の丸から折坂虎口方面へ、右側は帯曲輪(武者走り)。

帯曲輪へ・・・・当時はこんなに広く無いと説明版に。

帯曲輪途中に搦め手口方面の案内が・・・・当時は一部木橋。

本丸搦め手口の虎口。

搦め手側石段を上り本丸へ入りました、正面下が帯曲輪。

本丸の奥がわ。

本丸中央にある藤原明神(亀の塔)。

本丸前側・・・大楠・奥に亀の塔があります・・・草が多くやぶ蚊が多い、この時期は山城は大変ですね。

諫早城本丸の大クス、樹齢600-800年幹回り12mと見事なものです、築城当時に既にあったのですね。

折角ですから、・・・・諫早神社の大クスより一回り大きいですね。

大クス前の展望ですやはり諫早の町が良く見えますね。

此処も基本横矢掛かりの防御体制です。

搦め手口の虎口まで戻り、搦め手口へ。

右側が搦め手口虎口へ、左側は山を削った空堀底道。

搦め手虎口への石段。

空堀を進み出てきたのが高城神社です、竜造寺家晴を祭神にした明治期に出来た神社です・・・・明治期沢山大名の神社が出来ましたね、竜造寺家は江戸期佐賀鍋島藩の親類同格として諫早の地で過ごしたのです。

 

 

 

 


諫早公園に行って来ました(諫早神社・眼鏡橋)。

2022-06-10 06:37:37 | 旅行記

2020年6月2日(木)長崎県諫早市の諫早公園に行って来ました。

JR諫早駅から歩いて15分ぐらいでしょうか?、まず本明川沿いの諫早神社を目指します沿いが工事中の為、本明川を渡し返し諫早公園へ。

諫早神社です、大楠があるので拠らせて頂きました。

諫早神社・・・・丁度結婚式が終わり花婿・花嫁が写真撮影をしていました。

神社脇一番の巨木幹回り7・8m、樹齢は?。

廻ってみますね、こちら側は割れかかています。

次に手前が幹回り7m、奥が6・6m・・・これ以外奥に2本程巨木がありました。

6・6mのこちらの木の方が風情がありますね。

7・8mの巨木。

もう一度。

諫早神社まえの本明川の飛び石橋です、この川のは幾つかの飛び石橋がありますね、長崎の眼鏡橋中島川にもありました、埼玉の巾着田にはドレミファ橋が・・・他に中国の鳳凰古城城外の川にもありました?。

諫早公園の入り口脇にある、諫早の眼鏡橋。

日本で最長の二連アーチの石橋、もともとは本明川に在ったものとか。

橋を回りながら見ていきますね。

横正面、メガネが・・・。

池の諫早菖蒲が今満開なので。

優雅な景色を醸し出しています・・・。

如何でしょうか?。

こちら側からも・・・・・これから諫早城を見て回ります、この脇から入りますよ。