2022年6月1日(水)長崎県島原市の島原城に行って来ました、朝早くから長崎を出て島原を通り越し原城を散策し、戻ってきました、連日暑さの中歩き回り疲れが出てきましたね。
島原駅です、お城風の駅、朝右側のバス停より原城に行って来ました、島原城は此れから。
地図を片手に見て回りますね、森岳?・・・島原城が在った丘が森岳、別名森岳城・・・駅前上方面が島原城で本丸・二の丸(文化会館)・三の丸(学校で消滅)の連格式お城。
昔の島原城下の地図、板倉重政4万石で元和4年(1618)に入封、当初は日野江城、寛永元年(1624)に7年かけて島原城が完成、天守は独立式層塔型4重5階(現在は5重5階)縄張り図を見ると本丸の虎口は二の丸からのみ、二の丸本丸は総石垣の水堀で4万石のお城とは思えない。
2代目松倉勝家の代、重税と労役・飢餓と凶作・キリシタン迫害が重なり、寛永14ー15年(1637-1638)に島原・天草一揆を引き起こし、領内騒乱の責で斬首改易となりましたね。
この城に天草四郎を大将とした一揆勢が押し寄せたんですが、攻略できず・・・・結局原城へ立てこもったのですね。
駅前左側方面大手門へ・・・交番もお城風・・・横に石垣が残っていますね。
大手門石垣から島原城が見えます、本丸・巽櫓(辰巳)。
本丸脇(辰巳方面)から見た水堀と折れ曲がった屛風石垣、巽櫓と天守、此れから反時計回りにお堀端を廻りますね・・・本丸は別途記載。
巽(たつみ)櫓と天守・・・・現在石垣上の矢狭間を持つ練塀の修理を行っていました(一部工事中)。
右奥は艮櫓(丑寅)。
上の写真を合成したものです、如何でしょうか?。
艮(うしとら)櫓。
これも艮櫓と本丸壇下側の石垣。
本丸の石垣の端まで来ました、左側が本丸・・・中央に木橋の廊下橋・・・右側が二の丸、奥の山が雲仙。
なおも進み二の丸の端まで来ました、左側が二の丸の石垣、右側は三の丸方面。
二の丸通りから見た島原城、右側が二の丸、奥が本丸天守、左側が艮櫓。
二の丸虎口から見た島原城正面。
二の丸を進み本丸への虎口・・・昔は木橋の廊下橋とか・・・本丸への出入りは当時は此処のみですね、左右に櫓が立ち並んでいたのです。
二の丸をなをも回り込みながら、武家屋敷方面へまず時の鐘。
武家屋敷を見ます。
御徒町(鉄砲)ですね、綺麗な水が流れる(湧水の町)。
生活の水道ですからね、水奉行水当番が居たとか。
島原城本丸の入り口・・・・昔はこの入り口は無かったのです。
本丸入口横、西櫓。
本丸堀端も回り切りました。
巽櫓へ戻りました、此れから本丸です。