三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

山中城跡に行って来ました。

2016-03-09 16:25:27 | 城郭静岡

2016年3月8日(火)に天気が良いとの事で青春18キップでのお城巡りに行って来ました、朝一でスタートしましたが朝濃霧の影響で電車が遅れましたが段々良い天気になりました。三島まで行元箱根行のバスで山中城跡までです。

Dsc00580山中城跡は日本100名城で後北条の城で三代氏康が築いたのです、秀吉に対抗するため防御態勢を固めたのですが、1590年(天正18年)3月29日秀吉軍4万の大軍の前に北条氏則・松田康長4千は半日で落城、小田原北条の滅亡の先駆けとなったのです。縄張り図です、旧東海道を真ん中に挟み(三の丸)左側が出丸、右側が本城となります、右上が西の丸・二の丸・本丸・北の丸となります。

Dsc00588田尻の池です・その先に箱井戸があります井戸は飲料水で池は馬・洗濯等に利用したものです。Dsc00600西の丸の空堀畝堀です、山中城は石垣が無く、すべて堀と土塁での防御システムです、畝堀・障子堀は後北条の城壁の特徴です、当時は急勾配で堀も深く関東ローム層で滑り一度落ちると登れないものだ数です。

Dsc00614帯曲輪の先端からの見た富士山です畝堀があり右側が西櫓の馬出です。

Dsc00619富士山をアップで、お城の北北西側ですね、この後雲に隠れました。

Dsc00623帯曲輪を回り込みました、右が西櫓で左側が西の丸中が障子堀の空堀で西櫓と西の丸は木橋で連携しました。

Dsc00633左側西櫓で畝堀が続きますね、右側気に下側が三の丸方面で、左側が二の丸・本丸方面です。

Dsc00637西櫓に上がりました、中は土塁で盛り上げてあります、富士山が見えますね、櫓台もあります、右側は西の丸方面なので土塁がありませんね。

Dsc00647西の丸虎口から見た西の丸物見台です、向こう側に西櫓があり木橋があったそうです。

Dsc00649物見台から見た西の丸全景と向こうに見えるのが元西の丸です、広場が斜面上になっていますね、水を集めるための考慮と在りました。

Dsc00652やはり物見台から見た西櫓と障子堀です。

Dsc00657西の丸の虎口で元西の丸への通路です、ここは堀切状態でですね。

Dsc00663元西の丸から西の丸虎口を見た所です。

Dsc00668元西の丸から二の丸(北条丸)へは木橋となります。

Dsc00677二の丸の橋横の土塁の上から見た元西の丸です、元西の丸は小さな広場です。

Dsc00682二の丸と本丸は土橋と木橋で繋がっています、木橋はいざの時壊せばよいのです。

Dsc00683二の丸の広場です、ここは結構広いですね。

Dsc00692本丸広場です、天守台から見ました、正面奥が二の丸、左側したが弾薬庫・兵量庫の広場です。

Dsc00696天守台から見た北の丸ですやはり空堀があり木橋で連結されています。

Dsc00714本丸下の駒形諏訪神社境内にある大カシの巨木です樹齢650年根回り9・6mと在りました。

Dsc00743最後に出丸側の最先端であるすり鉢曲輪です、ここにも畝堀が見られました、大軍によるもう攻撃の前にこれだけの防御もわずか半日で落城するとは考えもしなかったのでしょうね!




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