2021年12月7日(火)に福岡県久留米城に行って来ました。
JR久留米駅から久留米城まで歩いて行きます、道は解りやすいですね、工場脇を北上します、築後川ぞいですね。
本丸もわかりやすく長方形で天守はありません、右下の巽櫓を天守の代わりとか、久留米城は築後一国を領した田中吉政の支城でしたが1616年の一国一城令でほぼ廃城同然とか、元和6年(1620)田中吉政の跡忠政が病没跡取りが無く改易、丹波福知山8万石有馬豊氏が21万石の大出世で久留米城に・・・天下泰平の世で天守は建てず。
JR久留米駅からの途中に三の丸の標識、この先(左側)は家老屋敷・・・外郭(四の丸)には上級武家屋敷が置かれたとか。
二の丸跡ですね、正面が本丸、左側は一段と低く(此処は河岸段丘)、二の丸は藩主の生活の場とか。
久留米城大手口、此れより反時計回りに城外を廻こみます。
大手口右脇の内堀外からの石垣です二段の石垣上が巽櫓で天守代わりに聳えていたのですね。
久留米城東側の石垣です、道路は蜜柑丸と言う腰曲輪、奥の虎口上が月見櫓。
東側の虎口です、本丸への虎口は2か所ですね、右石垣の上が月見櫓。
築後川がわへ回り込みました、左側石垣は崩壊したみたいですね、この石垣は艮(丑寅)櫓です・・・すこし崩れが!。
北西側の築後川です。
築後川の土手に沿った西側の石垣。
南側の大手口脇に戻りました、手前左側角に坤櫓、右側の角に太鼓櫓。
大手口、突き当りが冠木御門(枡形ですね).
冠木御門を入りました。
太鼓櫓跡です。
太鼓櫓から見た西側方面・・・築後川方面。
同じく太鼓櫓から見た、大手口側。
太鼓櫓から冠木御門方面を振り返りました。
イザ、本丸へ二の門、奥が篠山神社です(有馬家の神社・・明治に神社を起こした藩が結構ありますね)。
篠山神社拝殿・・・本丸御殿跡。
艮櫓跡・・・・先程見た石垣の上です。
月見櫓跡です、・・・東側ですね、昔の(田中吉政)城は東が大手門側とか・・・東側は湿地帯だったとか。
月見櫓脇の虎口・・・密柑丸の腰曲輪への虎口。
折角ですからもう一枚。
天守代わりのあった巽(辰巳・南東)櫓です、久留米の街並みがみえます。
巽櫓から見た大手口・・・二段の石垣構造ですネ。
同じ巽櫓から見た月見櫓方面。
同じ巽櫓から見た、大手口一の門、此れで久留米城散策は終わり此れから福岡城へ・・・時間が・・・。
JR久留米駅から久留米城まで歩いて行きます、道は解りやすいですね、工場脇を北上します、築後川ぞいですね。
本丸もわかりやすく長方形で天守はありません、右下の巽櫓を天守の代わりとか、久留米城は築後一国を領した田中吉政の支城でしたが1616年の一国一城令でほぼ廃城同然とか、元和6年(1620)田中吉政の跡忠政が病没跡取りが無く改易、丹波福知山8万石有馬豊氏が21万石の大出世で久留米城に・・・天下泰平の世で天守は建てず。
JR久留米駅からの途中に三の丸の標識、この先(左側)は家老屋敷・・・外郭(四の丸)には上級武家屋敷が置かれたとか。
二の丸跡ですね、正面が本丸、左側は一段と低く(此処は河岸段丘)、二の丸は藩主の生活の場とか。
久留米城大手口、此れより反時計回りに城外を廻こみます。
大手口右脇の内堀外からの石垣です二段の石垣上が巽櫓で天守代わりに聳えていたのですね。
久留米城東側の石垣です、道路は蜜柑丸と言う腰曲輪、奥の虎口上が月見櫓。
東側の虎口です、本丸への虎口は2か所ですね、右石垣の上が月見櫓。
築後川がわへ回り込みました、左側石垣は崩壊したみたいですね、この石垣は艮(丑寅)櫓です・・・すこし崩れが!。
北西側の築後川です。
築後川の土手に沿った西側の石垣。
南側の大手口脇に戻りました、手前左側角に坤櫓、右側の角に太鼓櫓。
大手口、突き当りが冠木御門(枡形ですね).
冠木御門を入りました。
太鼓櫓跡です。
太鼓櫓から見た西側方面・・・築後川方面。
同じく太鼓櫓から見た、大手口側。
太鼓櫓から冠木御門方面を振り返りました。
イザ、本丸へ二の門、奥が篠山神社です(有馬家の神社・・明治に神社を起こした藩が結構ありますね)。
篠山神社拝殿・・・本丸御殿跡。
艮櫓跡・・・・先程見た石垣の上です。
月見櫓跡です、・・・東側ですね、昔の(田中吉政)城は東が大手門側とか・・・東側は湿地帯だったとか。
月見櫓脇の虎口・・・密柑丸の腰曲輪への虎口。
折角ですからもう一枚。
天守代わりのあった巽(辰巳・南東)櫓です、久留米の街並みがみえます。
巽櫓から見た大手口・・・二段の石垣構造ですネ。
同じ巽櫓から見た月見櫓方面。
同じ巽櫓から見た、大手口一の門、此れで久留米城散策は終わり此れから福岡城へ・・・時間が・・・。
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