2023年11月30日(木)に肥後の国鞠智城に行って来ました。
熊本の山鹿市と菊池にまたがる・・・標高約90mー171mの見晴らしの良い広大な丘の上に広がる古代山城。
鞠智城(きくち)・・・昔は久々知(くくち)の城(き)と呼ばれ7世紀後半、約1350年前、ヤマト朝廷中大兄皇子の命令で建てられた朝鮮半島の山城を模範とする、朝鮮式山城=古代山城。
長者山を中心とした丘の上に広がる・・・・今回は中心部のみ・・・見て回りました、何故かこのような山城が出来たのか?、663年百済の要請で当時のヤマト朝廷が唐・新羅との戦いに支援したが、白村江の戦の戦いで敗れ、防衛の為国内の要所に幾つかの城を設けた、対馬の金田城・水城・大野城(大宰府を中心とした防衛網を築く)、鞠智城は大宰府の後方支援基地(では?)。
栗と空・・・・お土産屋さん?。
温故創生の碑・・・・?、鞠智城のシンボル。
駐車場脇から見た、鞠智城。
鞠智城・・・八角形建物 鼓楼と校倉つくりの米倉。
鼓楼・・・・・鞠智城のシンボルですね。
鞠智城の脇から見た南側方面の土塁。
鞠智城の兵舎・・・・当時は防人ですね。
板倉・・・・武器を保管した倉庫とか。
長者山へ・・・展望台広場にたつ・・・休憩所。
長者山展望台から続きますね・・・・灰塚方面へ・・・木の階段は関係ありませんね(今は公園ですから)。
階段を進みますね。
振り返りますね、長者山展望台休憩所。
灰塚までもう少し・・・。
灰塚にある展望案内板・・・鞠智城を中心に・・・見晴らしの良い場所ですよ。
灰塚の展望台・・・。
此れから右側方面へ向かいます・・・西側の土塁を見て涼みケ御所?へ・・・。
此れが多分”涼みケ御所”・・・・多分望楼があった所ですね。
涼みケ御所・・・・登り口が無く回り込みますね・・・・この石らは崩れたのかな?。
何とか上に上がりました、狭いが人工的な高台ですね・・・。
貯水池方面です・・・回り込んで・・戻りますね。
向こうに鼓楼が見えます。
長者山展望台の下を回り込んで鼓楼方面へ戻りました・・・・山城の技巧は見られませんが広い高原を歩けたのでワクワクしましたね。
熊本の山鹿市と菊池にまたがる・・・標高約90mー171mの見晴らしの良い広大な丘の上に広がる古代山城。
鞠智城(きくち)・・・昔は久々知(くくち)の城(き)と呼ばれ7世紀後半、約1350年前、ヤマト朝廷中大兄皇子の命令で建てられた朝鮮半島の山城を模範とする、朝鮮式山城=古代山城。
長者山を中心とした丘の上に広がる・・・・今回は中心部のみ・・・見て回りました、何故かこのような山城が出来たのか?、663年百済の要請で当時のヤマト朝廷が唐・新羅との戦いに支援したが、白村江の戦の戦いで敗れ、防衛の為国内の要所に幾つかの城を設けた、対馬の金田城・水城・大野城(大宰府を中心とした防衛網を築く)、鞠智城は大宰府の後方支援基地(では?)。
栗と空・・・・お土産屋さん?。
温故創生の碑・・・・?、鞠智城のシンボル。
駐車場脇から見た、鞠智城。
鞠智城・・・八角形建物 鼓楼と校倉つくりの米倉。
鼓楼・・・・・鞠智城のシンボルですね。
鞠智城の脇から見た南側方面の土塁。
鞠智城の兵舎・・・・当時は防人ですね。
板倉・・・・武器を保管した倉庫とか。
長者山へ・・・展望台広場にたつ・・・休憩所。
長者山展望台から続きますね・・・・灰塚方面へ・・・木の階段は関係ありませんね(今は公園ですから)。
階段を進みますね。
振り返りますね、長者山展望台休憩所。
灰塚までもう少し・・・。
灰塚にある展望案内板・・・鞠智城を中心に・・・見晴らしの良い場所ですよ。
灰塚の展望台・・・。
此れから右側方面へ向かいます・・・西側の土塁を見て涼みケ御所?へ・・・。
此れが多分”涼みケ御所”・・・・多分望楼があった所ですね。
涼みケ御所・・・・登り口が無く回り込みますね・・・・この石らは崩れたのかな?。
何とか上に上がりました、狭いが人工的な高台ですね・・・。
貯水池方面です・・・回り込んで・・戻りますね。
向こうに鼓楼が見えます。
長者山展望台の下を回り込んで鼓楼方面へ戻りました・・・・山城の技巧は見られませんが広い高原を歩けたのでワクワクしましたね。
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