2023年11月30日(木)に肥後の国(熊本)八代城(やつしろ)に行って来ました、八代城・・・三つの城(古麓城・麦島城・松江城(現 八代城))、築城者加藤正方・元和8年(1622)一国二城体制が継続された特例の許可された城。
球磨川河口の松江に築城・・・・松江城(現 八代城)・・・現存の本丸と水堀、寛永9年(1632)加藤忠広が改易、豊前小倉藩37万石細川忠利が肥後熊本藩54万石で移封、忠利の父細川忠興(三斉)が内命により八代城に入る(北の丸を隠居所とする)、後に細川家の家老松井氏が治める。
八代城の水堀と本丸石垣・・・・本丸以外は北の丸が少し遺産として残る、右側は上の図では橋は無い・・・現 八代宮の為の入り口。
反時計回りに回ります、大手門方面へ。
堀沿いを・・・後から向こう側の銀杏の木脇に・・・。
大手門欄干橋。
欄干橋・・・これから橋を渡り中に・・。
イザ・・・城内へ・・・枡形でえすね。
右側にたまり場・・・正面に石垣・・・右側に進路を・・・・枡形虎口・・・四方八方から狙い撃ち。
右に曲がりますが、まだまだ枡形が・・・。
いよいよ本丸城内へ入れましたね。
相撲場の隅石垣の上に宝形櫓の隅櫓・・・今は建物は一つもありませんね。
石垣の上に上がりますね・・・先程の銀杏の木。
石垣の上から・・・。
最初に見た八代宮への橋。
八代宮・・・本殿、これから本殿左脇へ進みますね。
本殿左脇、北西隅の本丸天守の石垣です手前が小天守、奥が大天守石垣・・・現在は脇から上りますね。
石垣上から見た、西側の石垣と堀。
ここの景色は見事ですね・・・八代城小天守・・・奥の一段高い石垣が天守。
小天守石垣脇から天守石垣を見ますね、小天守には2層3階、大天守には4層5階の櫓が立ち、渡櫓で連結したお城なのです、寛永12年(1672)落雷で焼失・・・以後天守は無し。
此処は渡櫓ですね、奥が大天守。
大天守石垣。
大天守石垣上から穴倉式でしょうか?。
大天守跡。
大天守の北側石垣から見た・・・搦め手側の廊下橋、・・・左側が北の丸。
大天守東側石垣下には唐人櫓・・・搦め手側の抑え。
大天守から見た小天守・・・・本来の天守虎口ですね・・・小天守脇からの階段を・・・・城内の管理の作業場で分からなっかったですが・・・・修復して欲しいものですね?。
廊下橋・・・搦め手 北の丸との連結。
道路の向こう側・・・北の丸 現松井神社・・細川忠興は此処で亡くなったのです。
北側の石垣、水堀・・・右の石垣は大天守石垣。
西側から見た本丸大天守石垣。
西側、奥が大天守石垣、次が小天守石垣・・・・こちら側が北の丸から三の丸方面で・・・この後に外堀が此処も城内ですね・・・・素晴らしいお城でした。
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