2014年12月2日(火)・3日(水)に熊本・阿蘇に行ってきました。
水前寺公園にまずより、その後熊本城を見て廻りました、50年ぶりです。
此れが熊本城の本丸です、左側が二の丸その上の方が三の丸と大きいのです、まず下から右側を城の外から見て二の丸周辺・出丸、本丸内を見ました。
熊本城の長塀です坪井川が堀です、周囲5・3kmのお城で7年をかけて築城、ご存じ加藤清正公、日本三名城・・・・これが曖昧ですが!!!?、まずお城の周りを見て歩きます。
東側の外石垣周辺で櫓は当時のものです、西南の役で多くが消滅しましたから。
北側周辺の石垣下から見た小天守閣と大天守閣です4重の石垣の上にあります、此処からは見えませんが手前小天守閣前の石段から下れる急階段が有りましたネ。
石垣が良く見えますネ、小と大が重なっています。
二の丸広場に巨木があります・・・・・情報が有りませんが結構な木です。
これはスダジイの巨木です年とか幹回りが有りません・・・・・、二の丸周辺(他の城内)にも多数の巨木があります。
二の丸方面から見た戌亥櫓・宇土櫓・大天守閣です石垣と城・・・イイデスネ。
此れも二の丸広場から小天守閣・宇土櫓・大天守閣が重なるように見えます。
西大手櫓門で右側に太鼓櫓で囲んでいます。
未申櫓で左奥が戌亥櫓まで繋がります、石垣の此方側が堀で二の丸広場でその外側が三の丸と外側に広がります、この右側石垣沿いが切れた向こう側が本丸側です。
これは二の丸の外の藤崎台のクスノキ群(1000年の巨木が7本)の巨木、幹回り12・5m?。
群の他も見事です、三本、四本が見えますネ。
幸行丸の広場から見た南大手櫓門と門の広場を囲む城壁の狭間が判りますか?・左は宇土櫓・右は第天守閣です。
大手門を入り本丸の入口です、こちらは大手門広場?西・南・北大手櫓門が集結します、いよいよ本丸への門頬当御門、てまえの櫓は左側が宇土櫓で右側の櫓と渡櫓になっています。
石垣に囲まれた大手を入り左側が宇土櫓の渡櫓入口です、頬当御門の城壁内側です狭間が判ります。
渡櫓の先が宇土櫓です・・・・・此れだけでも立派なお城ですネ。
大手から本丸の左側・・・ハゼ方門・須戸口門方面への下り道、高い石垣で囲んでいます、此処に入りこんだら周りの上からやられますね。
これが有名な二様の石垣で加藤時代と細川時代の石垣の組みようが異なるとの事です、この上が本丸御殿の広場です。
本丸より二段下の飯田丸五階櫓と樹齢800年幹回り12・5mのクスノキの巨木です。
東竹の丸からみた出口の道(石垣の囲まれている様子)がわかりやすいですね、向こう側が飯田丸櫓と大クスノキです。
不開門、当時の門が現存・・・此方側は当時の櫓が残っています。
これも不開櫓門、本丸はいる東側の大手門口です、このように四方から囲むように虎口を造りますね(桝形)。
本丸広場東側から見た天守閣・右側は急階段の石垣になっています(通れませんが)、微妙な構造です。
小天守閣から見た西側・・・宇土櫓と二重の堀石垣、奥が戌亥櫓でその向こう側が二の丸・三の丸・・・正面野球場が藤崎台でクスノキ群が有ります。
広場から見た天守閣、左に大銀杏の木、その左が本丸御殿。
西側から見た天守閣・・・向こう側から此方側には本丸御殿の御門を通る必要があります。
大変な防御で出来ています、また井戸の数も多数あり、秀頼をいざの時お連れする考えが無いとは言えませんね、どこから此れだけの石を集めたのでしょうか???。
阿蘇駅に宿泊したので、電車で熊本へ行き来しました・・・折り返ししましたネ。
阿蘇山にも行きました、噴火中ですが天気が悪く殆ど噴煙は見えませんでした、でも雪が夜中降りました。
山頂下で見ていたら時々雲が切れ噴煙が上がるのが感じました雲間の間の黒いのは噴煙です、山は寒いです・・・、この先には立ち入れません。
でも段々晴れ間が出ました・・晴れ男でも帰りは雨でした、米塚は草紅葉状態です、馬牛はノンビリと遊んでいます、噴火の影響は余り感じませんネ。
その後阿蘇神社に行きお参りしました、天気は何とか見学中は持ちました、行きと帰りは雨でしたが何とか・・・・・。
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