三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

吉野原合戦跡に行って来ました(大宮)。

2021-02-07 12:11:00 | 日記・エッセイ・コラム
2021年2月5日(金)に近所の合戦跡である、吉野原に行って来ました。

ここは国道16号バイパス?、さいたま・栗橋線のさいたま市より上尾の原市端です、この先に芝川があり少し高台です、船橋の地名があり見沼の端です・・・・この右の所に次の看板があります。

船橋の由来・・・大永4-5年(1524-25)河越城主上杉朝興は岩槻城を攻撃するため3000余騎を率い平潟川(旧利根川)を渡り上尾宿の南吉野原(大宮)へ対する岩槻(岩付)城主太田資頼は1200余騎は原市に着陣、多数の死傷者を出し戦意を失い上杉勢は河越に退いたとの事・・・・岩槻巷談の話の看板です。

この話は年号対戦相手的にややこしく?、元々太田資頼は扇谷上杉に仕えていた家老職ですが、大永4年(1524)北条氏綱に寝が入り岩付城をせめおとし、再度攻められて扇谷上杉に降伏、大永5年(1525)には北条氏綱に攻められ岩付城は落城、資頼は石戸城へ、享禄2年(1530)太田資頼により岩付城を奪還、天文6年(1537)河越城主上杉朝興が病死・・・すかさず北条氏綱は上杉朝定から河越城を取る流れの中での、この話は主君を寝が入った頃の最初の方の戦い見たいですね?。

陸橋のうえから吉野原方面を見ました。

同じく国道大宮方面を芝川がありその先に東北新幹線とニューシャトルの吉野原駅があります・・・・この駅名が吉野原です。

陸橋下のバス停名が船橋で見沼添いの狭い個所に船の橋を渡した名前みたいです。

芝川です、新幹線が見えますね、向こう側は大宮の工業団地となっています、この先と右側がが原市側です。

ニューシャトル吉野原駅です、この辺りが古戦場なのでしょうかネ?。

今の工業団地吉野原です。

芝川に架かる吉野橋の名前も今に残りましたね、さらに天文15年(1546)扇谷上杉朝定は山内上杉・古河公方連合で河越城を攻めましたね、有名な河越夜戦です、この戦いで扇谷上杉は滅亡、山内上杉は越後に武蔵は北条のものになりましたね。