2021年2月19日(金)に散歩道の一つ伊奈氏屋敷跡に行って来ました、丁度発掘現場の乾燥の為ブルーシートをはがしていました嬉しいですね、今回はその発掘調査現場写しましたので・・・。
やはり散歩の途中で見つけたマンサク(我が家のマンサクも咲き始めましたが)、まず最初に咲くのでマンサク・・・梅が早いですね。
伊奈氏屋敷跡の全景です、今回は浅間神社脇から、こちら側は原市沼の反対東側ですが湿地帯です、左側が大手門側で東側は二の丸側です。
縄張り図が無いと解りずらいので、上の写真は右側からです、発掘調査は裏門跡の跡の文字辺りです。
折角ですから二の丸脇の堀底路から左側が本丸の土塁、右側が二の丸です・・・写真では下側中央の太線です。
裏門の障子堀跡です・・・白線が埋め戻した跡、今回は奥の所です、裏門脇の土塁下です。
新しくできた北側散策路から見た所。
左側下から反時計回りに見ていきますね、左側のブルーシートははがしてありません?、穴の中の色の違う場所が障子堀の桟ですね、この角度はわかりにくいですが。
少しアップで桟の部が解りますかネ。
今回の発掘は全面的に泥をどかしてありませんね、障子堀があるのと規模(大きさ)まででしょうか?、右側の位置が奥行きと深さですね、梯子の部分の泥はどかしてありませんね。
この位置がわかりやすいでしょうかネ、奥は土塁の下まで深さは土塁上まで3m?位でしょうかネ。
横から見た所です、結局土塁側の泥をどかしたイメージの障子の枠、左側は階段状に掘り進めただけかな?。
此処もわかりやすいですね、・・・できればもう少し掘り進めてたらわかりやすいのですがね・・・・遺構が壊れてしまうのでしょうか?。
土塁の上から見た所です、ブルーシートの先の土が無い状態ののですね、結構深く急な斜面なので、ハシゴでも持参しないと攻めるのは厳しいのでしょう?。
これは北条の山中城の遺構です、桟はもっと細いのですが崩れるので厚くしてあります、障子堀はいつの時代のものかは?閼伽井坊の北条とは私は考えられないのですが・・・誰が作ったのかな?。