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三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

原市沼川の調整池のケモノ道。

2023-02-27 17:17:43 | 日記・エッセイ・コラム
2023年2月27日(月)上尾市の原市沼川の調整池に行って来ました・・・散歩道。

原市沼川・・・綾瀬川の護岸工事の進捗を毎日見ていますが、区切りが悪いためまだ次の記載に至りません・・・近所の梅の木にメジロが・・・。

昨年の夏場に見たタヌキですが・・・・その後見ることが出来ませんが、常々気が付いたことを・・・・。

調整池の土手に・・・・多分獣(けもの)道らしきものが・・・・土手の草むらと土手上の舗装道路をよく見ると土で汚れが見えますね、草も生えずに・・・・・・。

向かい側にも跡が在るのが解りますか・・・。

よく見ると3か所ほどそれとわかるケモノ道らしきものが見当たりますね。

その後タヌキは見ませんが、多分元気に活動をしているのだと・・・・皆さん如何でしょうかネ?。


綾瀬川の護岸工事(4)に行って来ました。

2023-02-09 11:59:33 | 日記・エッセイ・コラム
2023年2月9日(木)に綾瀬川の護岸工事に行って来ました、ほぼ毎日行ってますが、漸く進展したので。

近くの公園の白梅。

此方は蠟梅ですね、ロウバイは香りが強いですね。

この重機はサイレントパイラー・・・無振動・無騒音の矢板圧力杭打引抜の機器ですね。

ここ2-3日は川を進んでいました。

毎日見てましたが余り変わらないので・・・。

昨日まで大分進みましたが・・・・。

今日になって、曲がりました・・・今日は風が強く寒いので此処まで明日は雪とか?・・・大変ですね・・・この後どうなるのでしょう??、此処は魚が沢山いるのですが・・・向こう側に閉じ込められた魚は・・・多分水を抜いての護岸工事を始めるので…魚は??。

遂に向こう側が閉じ込められましたね、閉じ込められた魚はどうなるのでしょうかネ?、気になりますね。

サギソウを植え替えしました。

2023-02-06 07:45:55 | 日記・エッセイ・コラム
2023年2月4日(土)に我が家のサギソウ(さぎ草)を植え替えしましたこの時期2月ですね、此れだけは毎年忘れずに行っていますね、およそ10数年欠かさず行っていますね・・・一度行わないことがあり、球根が減ってしまいましたが、その後順調?に増えています、1株から2個の球根が作られますね。

昨年のサギソウです、8月に咲いてくれますね・・・・植え替えないと球根が無くなってしまいますね?。

鉢から球根を採り出します、小さな球根なので土を広げて何度も探しますね。

サギソウは元来水辺に咲く花みたいなので?、球根を水にいれ軽く土を落としますね・・・・今年は大きなのが7-8個取れましたね・・・後は小さいのが多いですが。

これで今年も奇麗でさわやかなサギソウが舞ってくれますかネ・・・・。

綾瀬川の護岸工事(3)に行って来ました。

2023-02-04 07:45:25 | 日記・エッセイ・コラム
2023年2月3日(金)に綾瀬川の護岸工事に行って来ました・・・散歩ですが・・・その3。

今日は見物の人が多かったですね、川の真ん中で大きな重機を使った作業をしているので、皆さんも何をしているか見ていましたね、何と川の中まで鉄板が打ち込まれて、中央から曲がって上流へ伸びていました。

下流から見た所・・・川中まできて曲がりました・・・後は上流方面へ伸びていますね。

上流へ向かい鉄板を打ち込みますね・・・・護岸工事を行うので土手を鉄板で囲み水を掻い出してから工事をするのでしょうね、鉄板は工事が終われば抜き取るのでしょうね・・・・大変な工事なのですね。

離れて見た所、横の青い箱も工事に合わせて動いていきます・・・キャタピラーが付いていますからネ、そのうちクレーン車が邪魔になりますねどう移動するのかな?。

後は繰り返して川中を進みますね。

買物の行に見たら大分進んでいました・・・・上流に鉄板の橋?・・・何だろうと思ったのですが・・・わかりました、川中の進む位置がずれない様目印を置いているのです、よく考えられていますね、・・・・この先が楽しみですね。

綾瀬川の護岸工事(2)に行って来ました。

2023-02-03 07:35:27 | 日記・エッセイ・コラム
2023年2月2日(木)綾瀬川の散歩・・・毎日ですが行って来ました、蓮田市側の護岸工事が今日は行われていましたね、今日も風が強く寒かったですが、しばらく見ていました・・・面白いものです。

これは少し前の写真です、土手の石垣?をはがしたところですね、川底の土が無くなり石垣が川にのめり込んでいますね。

今の少し下流此処から護岸工事を行う地点ですね、向こう側後が見沼代用水の伏せ越しの施設です、鉄板を打ち込み・・・その器械が乗っています・・・この作業は見ていませんでしたね。

今回は此処から、川に橋?が・・・。

この重機は何だと思いますか?、・・・これからお見せしますよ・・・私は寒い中一時間半位見ていました。

コの字型の鉄板を重機の入り口まで釣り下げます・・・。

重機の入り口に鉄板を入れますね・・・・この作業は人間がセットします。

器械が鉄板を挟むとクレーンが鉄板を離しますね・・・・まるでトリセツですが。

この重機が鉄板を押し込むのです、押し込むと鉄板を話して、上に上がり鉄板を咥えてまた押し込むのです・・・この繰り返しで30-40mの鉄板がズブズブ押し込められるのです・・・以前この上流の原市沼川の橋の架け替え工事では確か振動でズブズブ鉄板もぐらした?機械を使用したかな?。

見てください、潜りますね。

しかし、あれだけの長さの鉄板が潜る、地盤が軟弱なのでしょう・・・・地震に弱い綾瀬川の付近が解りますね。

後はこの繰り返しですね、この先川沿いの作業については寒かったので見ていませんが、明日また散歩するので見ますが、どう進んだのでしょうか、楽しみです・・・・しかし凄いですね、昔は蛇篭を組んで石を詰めたりしたのですが・・・。


綾瀬川の護岸工事に行って来ました。

2023-01-27 07:51:41 | 日記・エッセイ・コラム
2023年1月23日(月)埼玉県蓮田市と伊奈町を流れる綾瀬川の護岸工事が始まりました、昨年末土手に鉄板を引いていたので気にしていたのですが・・・。

蓮田市側の護岸工事、手前は上尾市側です・・・土手脇の石をはぎ取っていました・・・重機の力は凄いですね。

次から次へとはぎ取っていますね、この辺りは確りしていますが。

下流側が瓦葺の落合橋です、見沼代用水が綾瀬川とクロス・・・現在は見沼代用水は綾瀬川の川下を潜り抜け(伏越)ですが、昔は川の上に水路を渡す(掛樋井)ですね・・・レンガの掛樋井跡が残っています・・・・工事は橋の手前までですね・・・川が曲がって逆に土が堆積するので護岸の必要がないのかな?。

振り返り上流を見ています、川の先の石垣?が下がっていますね・・・石垣の下の地盤が弱く土地が流されて滑って潜るため石垣が崩れているのですね・・・その為張り替えるのですね・・・地盤改良工事がどのように進められるのか楽しみですね。

地盤沈下による石垣が見られる場所、逆にこちら側は昨年堆積した土を除いたのですが、また溜まり始めていますからネ・・・。

此処までが石垣ですね・・・どこまでやるかわかりませんが、川がゆったりと広がっている場所はやらないのか?、川の流れに沿って行うものなのでしょうね?。

綾瀬川(写真右側)と原市沼側の合流地点です、正面が伊奈町・左側が上尾市・右側が蓮田市・・・この辺りは昔から低地で奥江戸湾の端なのでしょうね、側の高台には志の崎の地名がありますから?・・・何せ大昔ですからネ。

出雲伊波比(いわい)神社に行って来ました(埼玉県毛呂山)。

2023-01-14 07:16:07 | 日記・エッセイ・コラム

2023年1月11日(水)に埼玉県毛呂山町の出雲伊波比神社に行って来ました、伊波比で・・・いわい・・・毛呂駅は毛呂山岩井・・・昔の地名なのでしょうかネ?。

JR八高線毛呂駅からわりと近くにある丘一帯が神社です、出雲伊波比神社入口。

森に囲まれた神社で流鏑馬(やぶさめ)で有名ですね。

祭神が大名牟退神(大己貴命=オオナムチノミコト)大国主神(オオクニヌシのカミ)、天津神と国津神の神々がいますが国津神の頭領ですね、天穂日命は天津神側ですが派遣されそのまま居ついた神とか。

なおも参道が続きますね。

なおもです。

漸く鳥の向こうに出雲伊波比神社が見えてきました、左側が流鏑馬の馬場。

出雲伊波比神社の拝殿、天平勝宝7年(755)からの神社、源頼朝が畠山重忠に造営を命じたとか、大永7年(1528)焼失、享禄元年(1529)当地の豪族毛呂顕繁が再建、県内最古の神社建築、一間社流造。

少し横から、拝殿ー中門祝詞屋ー本殿。

出雲伊波比神社拝殿・・・奥に中門祝詞屋が見えますね。

今度は右側方面から・・・右側は八幡宮・境内社の天神地祇社。

出雲伊波比神社の中門祝詞屋・・奥が本殿。

天神地祇社。

出雲伊波比神社の中門祝詞屋。

出雲伊波比神社の本殿。

流鏑馬の馬場です・・・まだ見た事はありませんね、此れから毛呂氏の館跡に行きます。

 

 

 

 

 

 

 

 


埼玉県上尾市の原市に行って来ました(その2)。

2023-01-13 07:23:38 | 日記・エッセイ・コラム

2023年1月11日(水)今日も天気が良いので原市方面を散策・・今日は自転車で回りました。

第二産業道路脇の妙厳寺です・・・正面から入れないので脇に回りますね。

脇の門も立派なのです・・・此処には織田信長・徳川家康に仕えた西尾吉次のお墓があるのです。

直接見たわけではありませんが、西尾家が織田信長拝領した鞍と鐙があるそうです。

脇のお堂。

本堂。

西尾家の累代のお墓の説明。

西尾家のお墓11代のお墓です。

西尾吉次のお墓・・・西尾吉次は享禄3年(1536)三河の吉良に生まれその後織田信長の人質にだされました、桶狭間の戦い後に家来、安土城築城の石奉行、武田戦の兵量搬入、長篠の戦、天正10年(1582)本能寺の変時には徳川家康の饗応役・・・徳川家康の伊賀越えには護衛しその後家臣となった人です、天正18年(1590)徳川家康関東入国時上尾桶川の東部5000石を領しました、関ケ原の戦いでは旗本備えとして活躍7000石の加増で大名になった人です、隣国(伊奈町)の伊奈忠次も当時7000石を領したので・・・多分知り合いなのでしょうね?。

上尾下にある陣屋公園・・・・西尾吉次の陣屋跡地?・・・遺構はありませんね・・・川と湿地が左側にありますが、条件としては?。

原市の氷川神社です、スサノウノ命を祀ります、獅子が右側が雄、左側が雌(2匹の子ずれですからネ・・・珍しい?)、社には正観音像・地蔵菩薩立像・秋葉大権現立像・天満天神坐像の四体が筐に納められているとか・・・神仏分離の規制に遭わなかったとか・・。

取り留めもなくアチラコチラ。

 

 

 

 

 

 

 

 


埼玉県上尾市の原市に行って来ました。

2023-01-12 07:54:18 | 日記・エッセイ・コラム

2023年1月9日(月)近所の原市に行って来ました。

東北新幹線脇の宝蔵院のラカンマキ・・・樹齢500年とか幹回り2.47m巨木の定義には入りませんが・・・昭和56年新幹線の為この場所に移植。

第二産業道路脇にある相頓寺・・・南北朝時代の永徳2年(1382)開山のお寺、山門は鐘楼門。

相頓寺本堂。

本堂前にある若き法然像。

御本尊の説明があります・・・実物は見ていませんが。

左下の六字名言・・・南無阿弥陀仏。

此方もそうですね、板碑に・・・南無阿弥陀仏の六字名言。

本堂前の脇のお堂に三仏が・・・説明。

中を外から写させてもらいました。

折角ですから・・・アップで・・、上の方には絵馬が。

これもアップで如何でしょうか?。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


埼玉伊奈町の氷川神社に行って来ました。

2022-12-27 14:36:14 | 日記・エッセイ・コラム

2022年12月27日(火)我が家の神棚の掃除を行い氷川様に古いお札を収めてきました。

昔で言えば鎮守の森でしょうかネ、少し森状態でしょうかネ?。

大宮の氷川神社・・・武蔵一宮、浦和の調宮神社・・・武蔵二宮、川口の氷川神社・・・武蔵三宮、伊奈氷川神社は?・・・立派でしょ!。

少し横から失礼します、後ろには巨木がありますよ・・・。

これが大杉です幹回りは5m以上の立派な巨木です・・・お札を治め破魔矢を購入(大宮の氷川様より安いのですよ)・・・・年の初めには毎年お参りしています、此処の所、お神酒が頂けませんね・・・・来年はどうかな?。