浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

What is so bad about feeling good?(気分が良くて何が悪い?)

2012-01-11 19:26:24 | 日記
色々あった2011年が終わり2012年になりました。

今年のテーマだとか心がけ、ってのをあまり立てないんですが(すぐ忘れるから。まぁだから駄目なんです。どうもさーせんね)、今考えている言葉はこれです。

気分が良くて何が悪い? What is so bad about feeling good?

村上春樹が「文章についてほぼすべてを彼から学んだ」と評する作家、デレク・ハートフィールドの本のタイトルです。


最近、本当に思うんだけどなんだか最近「先に怒ったもの勝ち」という風潮がある気がしないですか?僕だけなのかな?あまり巧く説明出来ないんだけど。

例えば会社で会議をしていても、あるいは会社外で話をしていても、いきなりバンと怒る人がいると回りにいる人全員が「まずその人の怒りを静める」ということにエネルギーを使い出す。「まぁまぁ」とかね。すぐ怒る人とかちょっと不安定な人がいると、その人が怒る前からどうもみんなが「その人を怒らせないようにしよう」と気を使う。

先に怒った人に対してこっちとしては「何怒ってんだよ!オレだって怒りたいよ!」と言いたいんだけどなかなかそうも行かない。

そんなことしても水掛け論になるだけだし、そもそも見ている相手から「なんだよ、お前は反省してないのか!」と更に怒られそうでしょ。

怒ること、怒っているいる人に回りの人のエネルギーが使われること、こういうことって僕は概ねよろしくないことだと思っている。もっと言ってしまうと「正しくないこと」だと思っている。

そのあたりに使われるエネルギーってほんとうにムダだと思うんです。

もちろん怒るには怒るなりの理由があってそれは申し訳ないと思うよ。でもさ、それを飲み込むなりあるいは「これは僕は賛成できないんです、なぜかというと…」という議論を冷静にしていくべきじゃないですか。

怒りや気に食わないことって、全員みんな色々抱えているわけですよね。だけど多くの人はカチンと来てもまぁ飲み込むなり、やんわり伝えたりしているじゃないですか。

集団のエネルギーは突然怒り出すような「お子ちゃま」に対してではなくて、むしろ、人知れずちゃんと我慢をしている人に注がれるべきだと思う。「いつも我慢してもらって申し訳ないね」「みんなのこと考えてくれてありがとう」「あなたのそういう振る舞いには何かで報いるからね」という感じでさ。

なんだか最近、「色んな状況を知れば怒ることが知識人として当然なのだ」、という風潮がある気がする。

確かに色んなことが起こっているからね。

そりゃあ原発のことだの政府だの知れば知るほど怒りをあらわにしたくなる気持ちもよく分かる。でもその怒りって何かを生み出すのかね?

歴史上、「怒り」が何かを生み出したことがあるんだろうか?

もちろん心の内に秘めた大きな怒りが何かを生み出したことはあると思う。でも怒りを外に出した人が創造的だったことって無いと思うんですよ。

怒りを外に出した人がすることは「創造」ではなくて「破壊」なんじゃないだろうか。(ローマの創造的天才、カエサルは僕が想像するにあまり怒りを外に出さなかった感じがする。坂本龍馬も僕のイメージではあまり怒らない感じ。)

更に「変だなぁ」と思うのが、こういう時代だからこそせめて気分は中立に、出来れば機嫌よく安定させていよう、と思っていると「これで怒らないなんてお前は何も考えてないのか!」とすら言われてしまいそうな気さえすること。

僕ね、特にこれってほんとおかしいと思うんですよ。「なんだよ、気分が良くっちゃいけないのかよ」って思う。

つーかほんとに「これで怒らないなんてお前は何も考えてないのか!もっと怒れよ!」っていう人は僕ね、あんまり好きじゃない。そういう人ってだいたいペテン師でしょ。(すごいこと言ってるな、我ながら) 人を怒らせて判断力を鈍化させて自分の好きな方向に誘導しようとしているんじゃないの?

本当の知識人、そこまで行かなくてもささやかながら思慮深い人の振る舞いというのは、心の中には燃えるような情熱を持ちつつも、どんなことがあっても怒りを露にせず、静かに笑みをたたえながら、冷静に物事に対処していく、ってことだと思うんです。

だから僕もそこまでは出来なくてもせめて気分はよくしておこうと思っています。
コメント (6)
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