浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

夢という名の呪い

2012-01-23 21:39:30 | DVD、映画
『呪いの時代』という本を読みました。
内田 樹
新潮社
発売日:2011-11

なんだか呪術だのオカルトのような本の印象を受けるけどそうじゃない。

「呪い」が言葉によって人に「悪しきこと」を起こさせるものなのであるならば、今ほど「呪いの言葉」が蔓延している時代はない。

嘘だと思うならちょっとTwitterとか2ちゃんねるとかを見てみてください。いくつもの「人に悪しきことが起こることを望んだ言葉」があふれている。実態を持たない(インクで印刷されたわけではない)、モニタ上の単なる光であるそれらの言葉は時に明確に人を傷つけるし、時には人を自殺に追いやる。相手が総理大臣だろうと学者だろうと、老若男女関係ない。キーボードの前に座った人間はいつでも誰にでも呪いの言葉を吐ける。

その呪いの時代をどう生きるべきか、というのがこの本の主旨。

呪いが「悪しきことが起こるように」願うことであるのに対して、その反対、「悪しきことが起こらないように」願うことが祝い。どちらも「悪しきことをコントロールする」ということで言えば共通点がある。


なんてことを考えているところで「アキレスと亀」という映画を観ました。
北野 武
バンダイビジュアル
発売日:2009-02-20

北野武監督作品。

絵を描くのが好きな子供が幼い頃から画家になることを望み、そのまま青年、中年と進んでしまった人の話。

なんだかプロモーションされているときには感動的な夫婦の話、みたいな感じだったけど、観てみて僕は「残酷な話だなぁ」と思ってしまった。

主人公、真知寿(まちす)は絵を描き画家になることしか考えていない。そして奇妙なことに、彼の周りには死があふれている。

大富豪だった父親は会社が倒産し自殺する、母は父を追い自殺、やっと出来た絵が好きな友人はバスに轢かれて死ぬ。

青年時代、共に芸術家を目指すことになった仲間たちは2人死ぬ。

中年になっても大事な人を失う。

はっきり言ってこの主人公は「死神」としか思えない。この人が周りを死に追いやっているわけでは決してないけど、それでも主人公の周りでどんどん人が死んでいく。

そして最も巻き込まれているのが常に寄り添う奥さん。

この映画においてはこの奥さんだけが主人公を「祝って」いる。

最終的にはこの奥さんの祝福だけが救いになるわけだけど、これだけ見て「大変だったけど夢を追って、奥さんがいるんだからいいじゃない」なんて僕は思えない。

これは「夢というきれいな言葉のダークサイド」を描いている話だと思う。

夢を持つことは素晴らしいと思う、そりゃ僕だって。でも夢には「一切報われない」という可能性だってある。

(たとえばこういうときによく言うんだけど漫画で『昴』というのがあります。高校生の昴がバレリーナになることを目指す。母親は「もしなれなかったらどうするの?」と訊く。昴の答えは単純。「なれなかったら私の人生終わり、それでいいの」 夢が大きければ大きいほど、これくらいの決意が必要なんだと思う。)

このあたりを北野武監督は非常に残酷に、ドライに描いていると思う。そういう意味で、夢には呪いの側面もあるのかも知れない。

そして奥さん。

奥さんは主人公と共に夢を追うことを選んだ。

でも、この映画の結論として「やっぱり夫婦愛っていいよねー」とはいえないっす、僕は。

なぜなら、この奥さんが主人公と共にいることって「本当に愛だけなの?」と思ってしまうから。うん、その見方はかなり性格が悪いかも知れないけど。けれどもそう思わせる監督がやはり僕は残酷であり、リアリストであるとも思う。

奥さんにとっては人生のすべてを賭けた主人公の夢。その夢をあきらめることは、主人公を選んだ時点から今までの人生の全てを否定することになってしまう。自らの選択と今までの人生を否定したくなかった、という気持ちが一つもなかったとは僕は思えない。主人公と一緒にいてたくさんの辛いことがあったからこそ、更にあきらめきれなくなったのかも知れない。ちょうどギャンブルに負け続けた人が「取り返すまでは止められない」と大金を賭け続けるのに似ている。

ああ、夢が呪いならば愛だって、、、いや、怖くてそれは言えない。

とにかくまぁ残酷な映画でした。

念のため言っておきますが、僕この映画嫌いではないです。

あとちょっとだけ。

言葉で主人公を「呪う」のは画商役の大森南朋。この役は良かった。主人公が持ち込む全ての絵を否定し主人公に対して「芸術はもっと狂わなきゃ駄目だ」と言う。「もっと狂え」という言葉は呪い以外のなんだと言うんだろう。

この映画で一つだけ(たぶん、一つだけだな)「救い」となるようなキラキラしたシーンは青年である主人公と、後に妻となる幸子が初めて心を通わすシーン。

幸子は同じ職場の主人公が気になっていて「次の休日なにやってるの?」と訊く。でも主人公は次の休日もその次の休日も絵を描く予定が入っている。

そんな主人公に業を煮やし幸子が訊く。

「私のこと、どう思ってるの?」

これへの主人公の返答、それを受けて更に幸子の返答が素晴らしかった。ここはグッと来た。「ああ、もうせめて二人は幸せになってくれ」と祈ったね。

このシーンは徹底的にリアリストでありながらロマンチストでもある北野武監督の真骨頂だと思う。

※ちなみに中年時代の主人公が大切な人を失った後に、火のついた納屋で絵を描き続けるエピソードは芥川龍之介の「地獄変」を連想させる。芸術のためにすべてを失った、という意味では相通じるものがあると思う。