「アルプスを越えて攻めてくるはずが無い」とローマが思った時点、いや、むしろハンニバルがローマにそう思わせた時点から、ハンニバルの侵攻は始まっていました。
黒が2回続いたから次は赤、というわけがありません。
ハンニバルが選んだ道は再度、山脈を越える困難な道。
結局、ローマ軍は二手に分かれながらもハンニバルに裏をかかれることになり、ハンニバルの更なる南下(つまりはローマ本国に近づくこと)を許すことになります。
その報を聞いたローマ軍2名の司令官、早速、きびすを返しハンニバル追走に向かいます。追跡するローマ軍にとってはありがたいことにハンニバルは通過した村を焼き払いながら進んでいました。彼の足跡を追うのは容易です。
現ハンニバル軍に近かったのはセルヴィリウス、フラミニウス両軍のうち、フラミニウス軍。彼は先立つ執政官選挙でも「打倒ハンニバル」を公約に掲げ票を集めた人間です。これがハンニバル打倒のチャンスとばかりにハンニバルが現在潜伏しているという情報に基づきトラジメーノ湖に急襲します。
ここまでことごとく「兵は欺道なり」の言葉を体現するかの如く敵を欺いてきたハンニバル。ここで村の焼き討ちも、トラジメーノ湖への潜伏もすべて彼の戦略だったことにフラミニウウスが気づくのはまだ先のことです。
(現在のトラジメーノ湖)
トラジメーノの戦いに対する後世の歴史家の評価はただひとつです。曰く「戦いとは認めない」。
なぜならこれは単なる騙まし討ちであるから、というものです。
しかし僕はこれこそがカンネーの戦い以上のハンニバル戦術の真骨頂であると思っています。
まずハンニバルの目的の第一は、「二正面攻撃ではなく各個撃破の戦いに持ち込む」ことでした。
戦争学においては「二正面攻撃は最高の愚策」が定説です。どれだけの名将でも一度に二方向の敵に対して戦うことは出来ないのです。これは歴史上、正式な二正面攻撃を成功させたのはナポレオンだけ、しかも彼ですら一度だけ、という事実からも明らかです。
ハンニバルが最も恐れていたのはセルヴィリウス軍、フラミニウス軍に挟まれること。両群に挟まれればいくらハンニバル軍と言えども勝ち目はありません。なんとか各個撃破に持っていくことが彼の狙いでした。
戦術の基本は各個撃破です。敵軍団をひとつひとつたたいていく。
各個撃破には現代の用兵術まで続く3つの原則があります。つまり「倒しやすい方から倒す」「近い方から倒す」「危険な方から倒す」。
ハンニバルにとってセルヴィリウス軍、フラミニウス軍どちらが倒しやすいと思ったのかは分かりません。しかし、近い、ということで言えば明らかにフラミニウス軍でした。
更にハンニバルがトラジメーノ湖を戦場に選んだのには地の利がありました。ここは常に濃霧に覆われることが多い土地。
敵は湖の周辺を行軍することが明らかです。ならば湖を挟んで攻撃すれば敵を「背水の陣」に追い込むことが出来るのです。川と違い湖は向こう岸に渡ることは出来ません。
彼の選んだ戦法は待ち伏せです。トラジメーノ湖のそばの街道の林にハンニバル軍5万の兵が息を潜めます。
もちろん、無意味に村を焼き払っていたのもすべてはフラミニウス軍をおびき寄せるためです。
これがトラジメーノの戦いの陣形図です。赤がローマ軍進行路、青がカルタゴ軍部隊。ハンニバルの布陣が「いやらしい」のはローマ軍の行路の先(図右)にスペインからの古参兵を壁のように配置し、その左に歩兵、ガリア兵、最左に騎兵、と機動力が高くなるように配置していることです。これによりローマ軍の最後列を騎兵が追い立てることが出来ます。まるで牧羊犬が牧柵に羊を追い込むように。この狭いゲリラ戦でも彼の戦術は「包囲戦術」でした。
深い霧の中、ハンニバル軍全兵士は息を潜め将軍ハンニバルの号令を待ちます。目の前を行軍していくローマ兵。
ちょうどローマ兵の前衛がハンニバル軍を通り過ぎる頃、ハンニバルは兵士に号令をかけます。
ローマ軍前衛は霧の中から現れた殺戮者に驚きの声を上げます。うしろに続いているローマ軍兵士は前方で何かが起こったことはわかりますが濃霧に囲まれそれが何なのかが分かりません。
塩野七生はこう表現しています。
「高速道路上ではしばしば、事故に気がつかないで走ってきた後続車が、次々と追突事故の犠牲になることがある。」
稀代の戦術家ハンニバルのもっとも美しい戦術がもたらしたものはローマ人にとっては美しさのひとかけらも無い地獄絵図でした。
一兵士も、軍団長も、そしてローマ最高の栄誉とされる執政官だったフラミニウスも、どの身体が誰のものかわかぬままトラジメーノの湖に浮かびました。
執政官フラミニウス率いるローマ軍2万5千のうち死者はフラミニウスを含む1万5千。一方、ハンニバル軍5万のうちの死者はほぼ無傷と言っていい2千。圧勝でした。
勝ち負けは起こってしまった過去であり、変えられません。一度負けたからと言ってそれはそれ、次に勝てばいいだけの話。大事なことはその勝敗から何を学ぶか。ローマ軍は残念ながらこの戦いを単なる「騙まし討ちによる大敗」としか捉えませんでした。一方、ハンニバルは圧倒的勝利を収めながらもやはりローマの重装歩兵の攻撃力は見くびるべきではない、という思いを強くしていました。
この2つの姿勢の差が次の結果の差につながるのです。
ことごとく負け続け、ハンニバルの侵攻を許すことになったローマ元老院。失った執政官フラミニウスに代わり対ハンニバル戦略を一任する人物を選びます。後に「ローマの盾」と呼ばれるファビウス・マクシムス。
…to be continued...
黒が2回続いたから次は赤、というわけがありません。
ハンニバルが選んだ道は再度、山脈を越える困難な道。
結局、ローマ軍は二手に分かれながらもハンニバルに裏をかかれることになり、ハンニバルの更なる南下(つまりはローマ本国に近づくこと)を許すことになります。
その報を聞いたローマ軍2名の司令官、早速、きびすを返しハンニバル追走に向かいます。追跡するローマ軍にとってはありがたいことにハンニバルは通過した村を焼き払いながら進んでいました。彼の足跡を追うのは容易です。
現ハンニバル軍に近かったのはセルヴィリウス、フラミニウス両軍のうち、フラミニウス軍。彼は先立つ執政官選挙でも「打倒ハンニバル」を公約に掲げ票を集めた人間です。これがハンニバル打倒のチャンスとばかりにハンニバルが現在潜伏しているという情報に基づきトラジメーノ湖に急襲します。
ここまでことごとく「兵は欺道なり」の言葉を体現するかの如く敵を欺いてきたハンニバル。ここで村の焼き討ちも、トラジメーノ湖への潜伏もすべて彼の戦略だったことにフラミニウウスが気づくのはまだ先のことです。
(現在のトラジメーノ湖)
トラジメーノの戦いに対する後世の歴史家の評価はただひとつです。曰く「戦いとは認めない」。
なぜならこれは単なる騙まし討ちであるから、というものです。
しかし僕はこれこそがカンネーの戦い以上のハンニバル戦術の真骨頂であると思っています。
まずハンニバルの目的の第一は、「二正面攻撃ではなく各個撃破の戦いに持ち込む」ことでした。
戦争学においては「二正面攻撃は最高の愚策」が定説です。どれだけの名将でも一度に二方向の敵に対して戦うことは出来ないのです。これは歴史上、正式な二正面攻撃を成功させたのはナポレオンだけ、しかも彼ですら一度だけ、という事実からも明らかです。
ハンニバルが最も恐れていたのはセルヴィリウス軍、フラミニウス軍に挟まれること。両群に挟まれればいくらハンニバル軍と言えども勝ち目はありません。なんとか各個撃破に持っていくことが彼の狙いでした。
戦術の基本は各個撃破です。敵軍団をひとつひとつたたいていく。
各個撃破には現代の用兵術まで続く3つの原則があります。つまり「倒しやすい方から倒す」「近い方から倒す」「危険な方から倒す」。
ハンニバルにとってセルヴィリウス軍、フラミニウス軍どちらが倒しやすいと思ったのかは分かりません。しかし、近い、ということで言えば明らかにフラミニウス軍でした。
更にハンニバルがトラジメーノ湖を戦場に選んだのには地の利がありました。ここは常に濃霧に覆われることが多い土地。
敵は湖の周辺を行軍することが明らかです。ならば湖を挟んで攻撃すれば敵を「背水の陣」に追い込むことが出来るのです。川と違い湖は向こう岸に渡ることは出来ません。
彼の選んだ戦法は待ち伏せです。トラジメーノ湖のそばの街道の林にハンニバル軍5万の兵が息を潜めます。
もちろん、無意味に村を焼き払っていたのもすべてはフラミニウス軍をおびき寄せるためです。
これがトラジメーノの戦いの陣形図です。赤がローマ軍進行路、青がカルタゴ軍部隊。ハンニバルの布陣が「いやらしい」のはローマ軍の行路の先(図右)にスペインからの古参兵を壁のように配置し、その左に歩兵、ガリア兵、最左に騎兵、と機動力が高くなるように配置していることです。これによりローマ軍の最後列を騎兵が追い立てることが出来ます。まるで牧羊犬が牧柵に羊を追い込むように。この狭いゲリラ戦でも彼の戦術は「包囲戦術」でした。
深い霧の中、ハンニバル軍全兵士は息を潜め将軍ハンニバルの号令を待ちます。目の前を行軍していくローマ兵。
ちょうどローマ兵の前衛がハンニバル軍を通り過ぎる頃、ハンニバルは兵士に号令をかけます。
ローマ軍前衛は霧の中から現れた殺戮者に驚きの声を上げます。うしろに続いているローマ軍兵士は前方で何かが起こったことはわかりますが濃霧に囲まれそれが何なのかが分かりません。
塩野七生はこう表現しています。
「高速道路上ではしばしば、事故に気がつかないで走ってきた後続車が、次々と追突事故の犠牲になることがある。」
稀代の戦術家ハンニバルのもっとも美しい戦術がもたらしたものはローマ人にとっては美しさのひとかけらも無い地獄絵図でした。
一兵士も、軍団長も、そしてローマ最高の栄誉とされる執政官だったフラミニウスも、どの身体が誰のものかわかぬままトラジメーノの湖に浮かびました。
執政官フラミニウス率いるローマ軍2万5千のうち死者はフラミニウスを含む1万5千。一方、ハンニバル軍5万のうちの死者はほぼ無傷と言っていい2千。圧勝でした。
勝ち負けは起こってしまった過去であり、変えられません。一度負けたからと言ってそれはそれ、次に勝てばいいだけの話。大事なことはその勝敗から何を学ぶか。ローマ軍は残念ながらこの戦いを単なる「騙まし討ちによる大敗」としか捉えませんでした。一方、ハンニバルは圧倒的勝利を収めながらもやはりローマの重装歩兵の攻撃力は見くびるべきではない、という思いを強くしていました。
この2つの姿勢の差が次の結果の差につながるのです。
ことごとく負け続け、ハンニバルの侵攻を許すことになったローマ元老院。失った執政官フラミニウスに代わり対ハンニバル戦略を一任する人物を選びます。後に「ローマの盾」と呼ばれるファビウス・マクシムス。
…to be continued...
でも、興味無い人にとってはつまんないだろうねぇw
やっと半分が終わったくらいです。
面白いッ!
やっぱさ~、知らないことを知ろうとしたときにとっつきやすいかどうかってのが、けっこうハードルとしてあるじゃあない。書きかたうまいから、ガー読めていいですね~。けっこう読ませるし。
あ~沖縄行きたい。
ほんと遊び入れたいのはやまやまなんだけど書くので精一杯なのさ。ふざけたこと書くとハンニバルに呪われそうだしね。