浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

ニンジン

2013-04-11 19:44:11 | 日記
大学入試や公務員試験にTOEFLを導入するとか言っているけど、そういうことじゃあないと思うんだよなぁ。

僕自身は30超えてからいろいろ始めようと思って、ジョギング、イタリア語、サックス、簿記、ギター、合気道なんかをやっているわけだけど、独学にしろ、人から学ぶにしろ、「何かを学ぶ」ということで大事だと思っていることが、いま、ある。

それは「好きだけど分からないという状態に人は努力する」んじゃないか、ということ。

つまり、例えばギターが好きなんだけど、自分がどこまでやったら弾けるようになるのか分からない、という状態の時って、たぶんたっぷり努力するんじゃないかと思うんだよね。

あれもやってみよう、これもやってみよう、と思って、ついつい電車の中でも指使いをおさらいしてみたりして。

そうやって色々なことをやってみて、確かに無駄な努力もあるのかも知れないけど、そういうこと全部が自分の実力になっていくんじゃないかと思う。

例えばさ、恋愛だってそうじゃないですか。唐突な例えだけど。

男がさ(女性の気持ちは分からないので男の気持ちだけで言いますけど)、誰かを好きになったとする。でも、何をすればその子が自分のことを好きになってくれるのかは分からない。だから男は最大限の努力をする。自分を磨き、その子にプレゼントを送り、優しい言葉をかけ、、、

もしさ「この子はこれだけやっとけば好きになってくれるべ」なんて思っている男がいたら、それってあんまり良くない態度だと思うんだよね。そういう人ってもてないよね、たぶん。

とにかく「これだけやっときゃいいんでしょ」という態度はあまりよろしくないと思います。

TOEFLとかTOEICなんかを大学入試に導入するのって、そういうことになっちゃわないかね。

「あの大学入るにはTOEFLで●点取ればいい」となったらそりゃ普通の人は「如何に楽に、少ない努力で●点取るか」という思考になるよね。「●点取るにはこれだけやればいい」と言ってくれる予備校があればそこに行くだろう。「いやいや、うちは半年でそのスコア取れますよ」と言う家庭教師がいたらそっちに行くだろう。「●万くれれば替え玉使ってあなたがTOEFLで●点取ったことにできますよ」という言葉にだってもしかしたら乗るかも知れない。

さて、そうやって楽にTOEFLで取ったスコアになんの意味があるんだろう?


僕の話になってしまって恐縮だけど、僕は高校の頃、洋楽と洋画が好きになった。で、例えばビートルズやクィーンの歌詞を全部理解したかった。映画で言えば「アンタッチャブル」とかそういうグッと来る映画を出来れば原語で理解したかった。意味なんてない。好きだから。

だから原曲の歌詞を自分で訳してみたり、洋画を英語で見たりした。当時はまだVHSなので英語字幕なんてついてない。英語を聞いてなんとなく「こう言っているのかな?」と書き起こして、それをまた訳してみたりしてた。そんなことやってたものだから、学校で英語の成績はけっこう良かった。


話を戻すけど「英語?ああ、TOEFLで●点とりゃいいんでしょ」と言って最小限の努力しかしない人と、英語が好きで好きでたまらなくて目につく英語はどんどん訳しちゃったりしている人、さて、本当に英語の力がつくのってどっちでしょう。

念のため言っておくけど「最小限の努力しかしない人」が悪いと言っているわけじゃない。

人間誰しも目の前に明確なニンジンをぶら下げられたらそりゃ最短ルートでたどり着きたいと思うだろう。

僕が言っているのは「ニンジンさえぶら下げればお前らはやるんだろ」という思惑でニンジンをぶら下げる人間の根性が気に入らない、というだけです。

もし英語が好きで好きでたまらなくて努力している人がいて、そこに上から大人が出てって「お前が英語やってんのって結局大学入りたいからだろ。大学入るにはTOEFLで●点取ればいいからやっとけよ」とか言われたら、「そんなことのためにやってんじゃねーよ、誰がTOEFLなんて受けるか」って思うんじゃないかな。

僕ならそう思う。ほら、僕、あまのじゃくだから。