浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

アウトロー

2012-11-11 18:18:24 | 
僕の生まれ育った町は昔(僕の母が子供の頃)は田んぼしかない田舎町だった。

その町が工業地域として生まれ変わったのは僕の母がちょうど就職する頃。なので僕が生まれた頃には農業と工業の町になっていた。

そんなもんだから僕の同級生で大学に行かない友達とかは地元の工場に勤めている人が多い。

僕の妹の旦那なんかはそんな感じ。高校を出て地元の工場に勤めている。彼は今まで地元の町以外に住んだことはない。本州から出たこともないし飛行機に乗ったことも無い。あまりアクティブな人間ではないので、休日は家にいて二人の娘と遊んでいる。

誤解しないんで欲しいんだけど、そういう人生がダメだと言っているわけではない。そりゃ確かに地理的な行動範囲は狭いかも知れないけど、家を建て娘も二人いてはっきり言ってある部分、うらやましい人生だと思う。行動範囲が広くたってその土地土地をただ通り過ぎるだけであれば大した意味はないかもしれない。僕のことだ。

たぶん、福島県相馬町の若者の多くもそういう感じなんじゃないかと思う。

中学高校とやんちゃで、大学行くことなんて頭に無くて、地元で働く若者。僕の同級生と違うことは勤めた先が原子力発電所だということ。


東日本大震災前から福島原発で働いていて、その後も働いている人たちのインタビューを基にしたノンフィクション。

取材対象はいわばやんちゃな人たち。高校もまともに行っていないしそのあとの人生も決してほめられたものではない。もちろん原発で働いている人たちがみなそういうやんちゃな人たちではないだろう。でも、そういう人もいる、という意味で取材対象は選ばれているんだと思う。

ここで唐突に「K-19」という映画の話をしたい。

これは1961年、ソ連の原子力潜水艦が事故を起こし、メルトダウン直前になった時の話。もちろん事故自体は最悪のもの。そもそも原子力潜水艦という存在すらどうかと思うし、度重なる整備不良、何も考えてない政府、と最悪なことが重なっている。でも、乗組員たちはメルトダウンを必死で止めようとする。一つの考えとして、「そんな潜水艦が悪い、事故は乗組員のせいじゃないんだからほっておけばいい」とだって言えるだろう。でも乗組員たちはそう考えなかった。もしメルトダウンが起これば第三次世界大戦につながるかもしれない。とにかくメルトダウンを止めるために十分な防護服も無いまま原子炉に突っ込んでいく。原子炉に近づく彼らの手足はどんどん壊死していく。(科学的に事実はどうか分からないけど映画ではそう描かれている) それでも彼らは最悪の状況で起こる最悪の出来事を防ぐために自分が出来る最善のことをただ、する。

福島原発の事故についてはもちろんこの本で描かれる彼らの責任も少しはあるのかも知れない。でもそれ以上に彼らの責任以外のことが多い。電力会社のずさんな管理も想定外の大地震も、その後の政府の対応も。

それに「そんなの俺の責任じゃねーよ」と告げて立ち去ることも可能だろうと思う。

でも、彼らはこう言っている。

「原発員が原発の仕事しねぇでどうするって。ワケのわかんない奴がやってきて何年もかかるんだったらうちらが行って早くやったほうがいいぞって」

若いころからやんちゃをしてきた彼ら。社会的に観れば彼らはアウトロー(無法者)かも知れない。

でもね、「自分は原発員だから原発の仕事をする」と言っている彼らと、遠い東京できれいな背広を着ていいことしか言わず何もしない偉い人たちと、どっちが本当にアウトローなんだろうか。