浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

De mortibus et verbis(死と言葉について)

2011-10-13 18:46:20 | 日記
たぶん僕は人よりも「言葉」への信頼性が高いほうだと思ってます。

元々、言葉が好きだから大学でも最終的には言語学を楽しんで勉強していたわけだし、そもそも何となく「まぁ、なんでも話せば分かるんじゃないかなぁ」と思うところもある。

言葉習うの嫌いじゃないしね。

大学では第二外国語でロシア語もやった。ほとんど覚えてないけど。ロシア語で覚えているのは「エッタ・ニエット・カランダーシ(これは鉛筆ではありません)」だけ。かなり使用機会が限定されるので使う機会がない。
そういえば大学では古典語としてラテン語もやった。こちらもぜんっぜん覚えてないけどね。今日のタイトルだけラテン語にしてみた。
数年前にはイタリア語を勉強した。

それもこれもすべて言葉という道具が増えれば言えることも増えるはず、と信じているから。

もちろん、言葉では言い表せないこともたくさんあるんだろうけど、それって僕の日常とはあんまり関係ない、例えば宇宙や医学の専門的なことなんじゃないかな、と思ってた。

でも今年は、改めて「言葉は無力だ」と感じる出来事が多い。

なんとなく「35歳が転機になるんじゃないかな」と昔から思っていたんだけどとにかく今年は色んなことがありすぎた。いろんなことが無い年なんてそりゃないんだけどとにかく今年はすごかった。

ハッピーなことより、「すげえなこれ」と呆然としちゃうことばっかりまぁ起こった。

前半だけでも長めに付き合ってた人とも別れたし、3月にはあの地震でしょ。すごかったなぁ。

とにかく「ああ、俺に言えることなんて何もねーや」と思ったのはとくにあの地震だね。もちろんテレビに映る悲惨な光景にも何も言えないし、叔父も亡くしたことについてもちゃんとした言葉がない。

それ以上に何も言えなかったのは釜石の親類の家に行ってハトコに会ったとき。仲のいいハトコだから釜石に行ってすぐ「よし、二人で散歩しようや」と言って昔、彼がまだ子供だった頃、よく連れてった公園に二人で行った。

で、「大変だったねぇ」と話を聞いていたんだけど、そこで初めて彼が震災で彼女を亡くしていたことを聞いた。

彼はまぁ笑いながら喋っていたけど、笑いながら「まぁ正直、こうなると泣けないっす」と彼が言うのを聞いて「ああ、俺には何も言えないなぁ」と心底思った。

あの地震の後、いろいろあって僕も体の調子も悪くなったりしたし、仕事も色々あった。

そしてその後、夏くらいから祖母の具合が悪くなった。

母方の祖母で今年94歳。寿命といえば寿命で、僕が大学の頃から正月とかに会うと「まぁ来年は会えないと思うから」と本人が言ってた。それが10年近く続いたんで「とか来年も言うんでしょ」というのがお決まりのパターンになってた。

とはいえ、ここ1年ほど見る見る衰えてきて夏を越えたあたりからほぼ自宅で寝たきり、少し具合が悪いと入院、そして退院、を繰り返すようになった。

もちろん僕は東京にいるわけでそういう状況は実家にいる主に母からメールで聞いていた。

祖母の介護は近くに住んでいる娘である僕の母とその姉(つまり僕の叔母)が交代でやっていた。夜、ついていなければいけないので二人は交代で泊り込んでいた。

こういうのを聞くとさ、ほんとに「うーん、言葉にならないなぁ」と思うんだよね。

どうも「大変だね、がんばってね」というのも違うような気もするし、他にいい言葉が見つからない。

先月かな、小学校のタイムカプセル発掘があって実家に帰った時に祖母に会いに行った。いよいよ最後だろうなぁと思っていたので。

実家に着いてすぐ会いに行ったときには既に意識が混濁しているようで何も分からない状態だったけど、帰る直前に会った時には少しだけ僕のことが分かるような感じだった。既に話せないし動けない状態だけど僕を見ると(そして聞こえるほうの耳に名前を大声で言うと)こちらに手を伸ばして来たから。

本当にこういうのって言葉がない。

そして先週末、母から祖母が亡くなったという連絡を受けた。

もちろん悲しいし残念だけど、とはいえ享年94歳。第二次大戦、戦後の復興、高度経済成長、バブル期、そして今年の大震災を生き抜いた。子供5人、孫11人、そして僕もちゃんと数えたことがないくらいのひ孫に囲まれていた。

突然わっと亡くなってしまったわけじゃなく、徐々に寿命が尽きていくのを本人も周りも認識していた。だからさよならを言う時間は、どこまで行っても十分なんてことはないだろうけど、それなりにあった。

安易な言葉だけどさ、大往生と言っていいんじゃないかと思う。

祖母の姿で一番覚えているのは叔母の葬式の時のこと。

祖母の子供(つまり僕の叔父叔母)は5人兄弟なんだけど、長女が病気で数年前に亡くなった。つまり母である祖母は娘を先に亡くした。

そのとき、僕は仕事先から直接告別式の会場に行ったんだけど祖母の姿が見当たらなかった。うちの地元の風習なのかどうか分からないけど、子供を亡くした親は通夜や告別式には参加してはいけないらしい。(連れて行かれてしまうかもしれないから、とのこと)

亡くなった叔母の家に子供・孫一同で戻ると仏壇の前にほんとに憔悴した祖母がいた。憔悴する、ってこういう状態のことなんだなぁ、と僕は初めて分かった。子供たち親族全員が葬式に出かけている中、娘のいなくなった娘の家でたった一人で娘が亡くなった事実と向き合わなきゃいけないのはそりゃしんどいだろう。

その後、祖母を慰めるためにも孫たちで酒を飲みつつ話して、祖母も少し元気になった様子だった。

今頃、たぶんその叔母と、そしてそれよりかなり前に逝った夫(つまり僕の祖父)と会っていることだろう、と思う。