何回か書いてるけどドラッカー(経営学者)の本がかなり好きです。
ドラッカーの書籍をどう使うべきなのか、に関しては昔書いているのでここでどうぞ⇒「ドラッカーについて」
(しかし、昔のブログの文書ってかっこつけてるよなぁ、我ながら)
今日、仕事で水戸に行っていて電車の時間まで暇があったので駅ビルの中の本屋さんに寄ってみた。僕の住んでるところは浅草なんだけど大きな書店というのがないんだよね、それだけが浅草という土地に対する不満。なんで駅ビルのワンフロア使ってる本屋なんて行くと嬉しくなる。
2冊ほどいい本を見つけたので(←これはどちらも面白かった、あとで書きます)、ビジネス書のコーナーを観たらその一角にそぐわない表紙の本を見つけた。
もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
なんか漫画風の女子高生が表紙。「なんじゃこりゃ?」と思ったらと「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」いう長いタイトル。
うーむ。。。
ドラッカーはですねー、「ドラッカーを分かりやすく解説する」という主旨の本がたくさん出てます。僕も何冊か読んでみたけど、正直「これ読むんだったらドラッカーの著作読んだほうがきづきが深いな」と思うものばかりでした。そもそも本家本元のドラッカーの著作だってそんなに難解なものではないわけだし。
あまり役立たない、ということならまだいいんだけど「こんなの読むの無駄」と思う解説本もある。
これもどうせそういう類の本なんだろう、けしからん、と思って立ち読みしてみたんだけどいやいやこれがけしかるけしかる。
どういうストーリーかと言うと主人公はある高校の野球部のマネージャーの女子高生。その野球部は弱小。他人事みたいな監督、監督と口を聞かないエースピッチャー、その他野球の素人同然の部員。
そのマネージャーはまず「マネージャーってなにをすればいいのかしら?」と思う。そこで辞書で引いてみる。
そこには「マネージャー=マネジメントをする人」と書いてある。
そうか、マネジメントをすればいいのか、と思ってマネジメントの本を買いに本屋に行く。「すいませーん、マネジメントの本ありますか?」と書店員に聞くと「それならこれがお奨めですよ」と出されたのがドラッカーの『マネジメント【エッセンシャル版】』。
マネジメント - 基本と原則 [エッセンシャル版]
かくして女子高生は『マネジメント【エッセンシャル版】』を片手に野球部のマネジメントに取り掛かる。
ドラッカーの本を開くとまず『われわれの事業は何か、という問いから始めなければならない』と書いてあるので主人公は「野球部の目的って何?」と考え出す。更には『顧客は誰か、という問いこそ、個々の企業の使命を定義するうえで、もっとも重要な問いである』と書いてある。それで更に「え?野球部の顧客って誰?」と考え出す…。
そんなわけねーだろ、と思うけどまぁフィクションだからねぇ。
ストーリーはよくある野球ドラマのように始まり、進み、終わるわけだけどドラッカーの思想が非常に良くわかるしその結果が「野球部」という組織に現れてくるわけで非常にわかりやすい。
穿った見方をすれば「よくある野球ドラマのパロディ」ではあるわけだけどそれはそれでそういう楽しみ方も出来るしね。
おすすめです。
ドラッカーの本は誰にとっても役立つものであることはお約束します。
最後に、ドラッカーの言葉でいくつか僕が好きなものを。
---
部下は上司の無知、無能、無作法さ、たいていのことを許す。
しかし「真摯さの欠如」だけは絶対に許さない。
そしてそのような人間を選ぶマネジメントを絶対に許さない
---
⇒これを読むたびに「ああ、スマヌスマヌ…」と謝りたくなる。。。でも謝った後に、たとえ無知で無能で無作法でも「真摯さ」さえあればやっていけるのだ、と勇気がわいてくる。
---
人のマネジメントとは、人の強みを発揮させることである。
人は弱い。悲しいほどに弱い。問題を起こす。手続きや雑事を必要とする。
人とは費用であり、脅威である。
しかし人は、これらのことのゆえに雇われるのではない。
人が雇われるのは、強みのゆえであり能力のゆえである。
組織の目的は、人の強みを生産に結びつけ、人の弱みを中和することである。
---
⇒ドラッカーはとにかく「強みを活かせ、強みに集中せよ」という。同じく「人が雇われているのは出来ないことのためではなく、出来ることのためである」とも言う。こんな僕でも雇われている、ということは出来ることがあるんだ、とこれまた勇気がわいてくる。
---
明日は必ず来る。そして、明日は今日とは違う。
---
⇒もし今日が思い通りのものでなかったとしても明日は今日とは違う、そう考えるとこれまた勇気がわいてくる。
僕にとってドラッカーは「勇気の書」です。
ドラッカーの書籍をどう使うべきなのか、に関しては昔書いているのでここでどうぞ⇒「ドラッカーについて」
(しかし、昔のブログの文書ってかっこつけてるよなぁ、我ながら)
今日、仕事で水戸に行っていて電車の時間まで暇があったので駅ビルの中の本屋さんに寄ってみた。僕の住んでるところは浅草なんだけど大きな書店というのがないんだよね、それだけが浅草という土地に対する不満。なんで駅ビルのワンフロア使ってる本屋なんて行くと嬉しくなる。
2冊ほどいい本を見つけたので(←これはどちらも面白かった、あとで書きます)、ビジネス書のコーナーを観たらその一角にそぐわない表紙の本を見つけた。
もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
なんか漫画風の女子高生が表紙。「なんじゃこりゃ?」と思ったらと「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」いう長いタイトル。
うーむ。。。
ドラッカーはですねー、「ドラッカーを分かりやすく解説する」という主旨の本がたくさん出てます。僕も何冊か読んでみたけど、正直「これ読むんだったらドラッカーの著作読んだほうがきづきが深いな」と思うものばかりでした。そもそも本家本元のドラッカーの著作だってそんなに難解なものではないわけだし。
あまり役立たない、ということならまだいいんだけど「こんなの読むの無駄」と思う解説本もある。
これもどうせそういう類の本なんだろう、けしからん、と思って立ち読みしてみたんだけどいやいやこれがけしかるけしかる。
どういうストーリーかと言うと主人公はある高校の野球部のマネージャーの女子高生。その野球部は弱小。他人事みたいな監督、監督と口を聞かないエースピッチャー、その他野球の素人同然の部員。
そのマネージャーはまず「マネージャーってなにをすればいいのかしら?」と思う。そこで辞書で引いてみる。
そこには「マネージャー=マネジメントをする人」と書いてある。
そうか、マネジメントをすればいいのか、と思ってマネジメントの本を買いに本屋に行く。「すいませーん、マネジメントの本ありますか?」と書店員に聞くと「それならこれがお奨めですよ」と出されたのがドラッカーの『マネジメント【エッセンシャル版】』。
マネジメント - 基本と原則 [エッセンシャル版]
かくして女子高生は『マネジメント【エッセンシャル版】』を片手に野球部のマネジメントに取り掛かる。
ドラッカーの本を開くとまず『われわれの事業は何か、という問いから始めなければならない』と書いてあるので主人公は「野球部の目的って何?」と考え出す。更には『顧客は誰か、という問いこそ、個々の企業の使命を定義するうえで、もっとも重要な問いである』と書いてある。それで更に「え?野球部の顧客って誰?」と考え出す…。
そんなわけねーだろ、と思うけどまぁフィクションだからねぇ。
ストーリーはよくある野球ドラマのように始まり、進み、終わるわけだけどドラッカーの思想が非常に良くわかるしその結果が「野球部」という組織に現れてくるわけで非常にわかりやすい。
穿った見方をすれば「よくある野球ドラマのパロディ」ではあるわけだけどそれはそれでそういう楽しみ方も出来るしね。
おすすめです。
ドラッカーの本は誰にとっても役立つものであることはお約束します。
最後に、ドラッカーの言葉でいくつか僕が好きなものを。
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部下は上司の無知、無能、無作法さ、たいていのことを許す。
しかし「真摯さの欠如」だけは絶対に許さない。
そしてそのような人間を選ぶマネジメントを絶対に許さない
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⇒これを読むたびに「ああ、スマヌスマヌ…」と謝りたくなる。。。でも謝った後に、たとえ無知で無能で無作法でも「真摯さ」さえあればやっていけるのだ、と勇気がわいてくる。
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人のマネジメントとは、人の強みを発揮させることである。
人は弱い。悲しいほどに弱い。問題を起こす。手続きや雑事を必要とする。
人とは費用であり、脅威である。
しかし人は、これらのことのゆえに雇われるのではない。
人が雇われるのは、強みのゆえであり能力のゆえである。
組織の目的は、人の強みを生産に結びつけ、人の弱みを中和することである。
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⇒ドラッカーはとにかく「強みを活かせ、強みに集中せよ」という。同じく「人が雇われているのは出来ないことのためではなく、出来ることのためである」とも言う。こんな僕でも雇われている、ということは出来ることがあるんだ、とこれまた勇気がわいてくる。
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明日は必ず来る。そして、明日は今日とは違う。
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⇒もし今日が思い通りのものでなかったとしても明日は今日とは違う、そう考えるとこれまた勇気がわいてくる。
僕にとってドラッカーは「勇気の書」です。