浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

岩手から流れる血

2009-08-15 20:01:14 | 日記
(タイトルがちょっと物騒だけど別にスプラッタな話じゃないです。)

それぞれの人にとっての「田舎」っていう定義は、まぁ子供の頃生まれ育ったところだったり、父親の実家でおばあちゃんやおじいちゃんのいるところだったり。

僕にとっての田舎、は厳密にいえばそりゃ茨城ってことになるんだろうけど、僕の心の中には岩手、ってのもあるんです。

岩手は父親の実家。

父親の両親は僕の生まれる前に亡くなっているから父方の祖父母というのは僕には記憶がないんだけど、岩手には父の姉がいる。つまり僕にとっては叔母ね。

その叔母さんには僕が子供の頃から色々世話になってて、休みの度に父に連れられ岩手に行った。

リアス式海岸沿いの町で、海も山もあるいい所。

昔は炭鉱や製鉄所があって栄えていたらしいけど今となっては炭の時代じゃないし、製鉄所も寂びれ、いわゆる普通の地方都市になっているけど、それでも行けば行ったで懐かしいな、と思うんだよね。

その町までの行き方は新幹線で新花巻という駅まで行ってその後ローカル線ということでドアtoドアで5、6時間ってとこなんだけど、今回は試しに深夜バスで行ってみました。

上野から乗り換え無しでその町まで行けるみたいなんでね。実は深夜バスって初めて。

夏だからか増便していて僕は3便目。通常の便だと3列独立シートなんだけど、僕のは臨時便だから普通の高速バスみたいな狭いバス。隣の人と間に手すりもなくて「これで8時間かぁ」と憂鬱になってたら、休憩所で(トイレもついてないので休憩所に寄る)よく見たら後部座席はがらがら。特に一番後ろの席が誰も座ってないので「わーい」と独占し、完全ベッド状態。寝ながらウィスキーのポケット便とかグビグビやってたら着いた。らくちーん♪

着いた日は甥っ子と共に適当に観光。

リアス式海岸を眺められるところへ。

少し天気は悪いけど眺めはいい。


その晩は手巻き寿司ってことで買い物に付き合う。


はいこれなーんだ?


答えはウニー♪近くの漁港でウニが取れるのでここではそのまま海水と一緒に牛乳瓶に詰めて売ってます。うまいんだこれが。はっきり言ってこんなの食べちゃうとさー、東京でウニなんて食えないっすよ。

僕はカレー中毒であり豚バラ中毒であり、更には牡蠣中毒でもあるんだけど実はウニ中毒でもありまして。

ウニが食える、となるとウニウニウニウ二ウニウニウニウ二カウさんーと叫ぶくらいウニが好き。

でもねーどこで食べても「やっぱ岩手のウニのほうが旨いや」と後悔するんだよね。それくらいここのウニは旨い。

とういうことで手巻き寿司。

商売やってるうちなので料理は暇な僕も手伝う。

奥に見えるのは僕が作った茶碗蒸し。大体うちの一族ってのは山賊料理で大皿どん、どん!という料理が多い。久々に大勢に料理作るのは楽しいね。

次の日はお墓参り。

ここには僕の父方のじいちゃんばあちゃん、そして叔父さんが眠っている。

この叔父さんの名前を見るたびに感慨深いものがある。

というのもこの叔父さんは体が弱く生まれて4歳で亡くなった。じいちゃんばあちゃんにとっては3人目の子供で、「3人でいいか」と思っていたらしい。でもこの叔父さんが亡くなったことで「じゃあもう一人」と作った子供が僕の父。

なんというかすごく不謹慎かも知れないけどこの叔父さんが亡くならなければ僕という存在は無かったわけで。そう考えるとどうにもうーん、と思うことになる。

お墓参りには従姉妹の姉ちゃんと甥っ子と行ったわけだけど、墓を掃除して、じゃ線香を、という段になって、姉ちゃんから「じゃ伊藤家の人から」と僕が一番に参ることになった。

そこで気づいたんだけど、姉ちゃんと甥っ子は伊藤家の人じゃないのね。つまり叔母の家系なので、叔母は嫁に行っていて苗字が違う。

本当は伊藤家ではない人がお墓のある町にいて、伊藤家の人たち(父の兄の家と父の家)は別の町にいる、という状態のこととか僕はなんだかんだ行っても伊藤家の人なんだな、ということとか考えて蝉の声がうるさくて、僕がお盆にちゃんとお墓参りするのって多分10年振り位だな、とかって考えて持ってかれそうになった。

おじいちゃんのことは話しにしか聞いたことは無いけど、それでも聞けば聞くほど「ああ、俺はおじいちゃんの血を継いでいるんだな」って思うことが多い。細かいところにこだわるところとか食べ物にいちいちうるさいところとか。(母親に言わせると『かっこつけてるだけ』らしいけど)

お墓参りの後、海に行く。浄土が浜という場所で、岩場に囲まれ天然のプールになっている浜。

途中、食堂により名物「磯ラーメン」をいただく。

スープに海水を使っているらしく(本当かね?)磯の匂いがする。具はホタテ、めかぶ、イクラ、ウニ、カニ、ワカメ、、と途中まで数えてたけど数え切れないのであきらめる。とにかく磯三昧。

夜は焼肉。

うちの家系は焼肉に5人で行ってファーストオーダーが「特上カルビ5人前、タン塩5人前、ビビンバ5人前」なんで困る。この焼肉屋はねー、岩手に行くと毎回連れてってもらうんだけど肉が前沢牛で旨いんだ、これまた。小一時間で平らげ(食べるのが早いのもうちの家系の特徴)、甥っ子を連れ出しつぼ八で飲みなおす。甥っ子は高校生だからジンジャーエール。

甥っ子に恋の手ほどきを。どうやらいい感じの女の子がいるらしくてね。がんばれがんばれ。兄ちゃんみたいになっちゃあかんぞ、ってオイ!

岩手滞在中は上記のとおり食べてばっかりいるので体重がヤバイ。

ということで毎朝走る。

旧国道と呼ばれている山を登っていく道があって、そこを30分ほど往復。日頃、上り坂を走りなれてないので一気に疲れる。

疲れながらもこの道を通っていると僕の父の話を思い出す。

父は子供の頃、この国道を登った山側の方に住んでいた。父が子供の頃、父の母、つまり僕の祖母が心臓発作で倒れた。救急車が行くよりも母を背負って山道を降りたほうが早い、と言われて父は祖母を背負い夜の山道を降りた。背負いながら、急ぎながらも母がもう息絶えていることは分かった。

今でも電灯の少ない山道を、息絶えた母を背負いながら下る父は何を思っていたんだろう?

更に思い出す。

おじいちゃんは若い頃、飛行機乗りになりたかったらしい。でも学歴や体が理由でその夢は叶わなかった。仕方なく整備工となり、終戦後は炭鉱夫として働いた。その不遇をおじいちゃんはずっと嘆き続けたらしい。

でもさ、もし飛行機乗りになっていたら。

もしかしたら戦争で命を失っていたかも知れない。僕の父は戦後生まれだからおじいちゃんが戦争で死んでいたら父は生まれていないはず。

今日は8月15日。そういうことも考える。

確実に僕の中に流れる血は岩手の山に囲まれたこの町から始まってる。