昨日はカウンセリングのミニセミナーに参加。
他に2人いますが、恐らく、私と同じ、以前はカウンセリングに通われていて、よくなり、交流分析のセミナーに参加する様になった、そんな感じがする。
お二人の様子を見ると、やはり仕事が大変で、そこから、心を壊されたことがあるような、そんな雰囲気、いや、そういうような話もされてました。私よりハードな経験をされているように思えてる。
私は、2月ごろから、気持ちが落ちたまま、さしたる向上は無く、むしろ、悪い方向にジリジリと落ちているのがわかる。
セミナーでも、交流分析や、ゲシュタルトの簡単な「ワーク」をやってきたり、実は面白いものではあります。
そこにいる時は、自分の抱えているものは、小さなもので、くよくよするレベルではないと気づきますが、家に戻ると、また、得体のしれない憂鬱感に襲われ、それで、テンションが落ちます。
テンションを上げるべき、すっきりしたものを飲んだり、コンテンツに目を向けたり、音楽を流したりするんだけど、以前と同様、それらをやること自体が重い。
そして、ストレスになっていることに気づく。
昨日は疲れもかなり感じ、早めに入眠するも、金縛りと不快な夢で何度も目覚め、睡眠時間は多く摂ったものも、朝の気持ちが重々しい。悪いころそのものだ。
自分の自我状態に気づく習慣は大切なもので、それはゲシュタルトを知る前から、自然にやっていたものだ。
朝起きて、何もしたくない、憂鬱、倦怠感がある。そんな時、急いで朝支度などできない。なので、少し早めに起き、瞑想的な時間を作る。
何が重いのか?、いま憂鬱なのは何が原因か。そうすることで、それらはあまり重要でないことに気づくんだが、そうして少し軽くしても、やること一つ一つが億劫で、以前のように、些細なことも、自分にとって大きなイベントになってしまう。
自問することは大切で、擬人的に自分を切り離し、自分に問いかける。君はいま、なんで憂鬱だ?と。
もう一人の自分と話すことで、それらが大したことでないことに気づくんだが、しかし、慢性的に憂鬱感があると、マッサージのように、一時的には回復も、しばらくすると不調に戻る。
セミナーでも、同様なエクソサイズはするもので、それは少し、リラックスをし、楽しみながらやるというもの。
その中で、それぞれの気づいたことを話すと、カウンセラーが助言をする。その助言は、必ず1つは持ち帰る価値あることがほとんど。
カウンセリングで、自分が元気を取り戻し、いろんなことの解決もあり、昨年秋ごろから、ウソのように調子良かった。
今年、財政はきついのは分かってたから、春ごろ、また、睨めっこがあるとは覚悟していたが、財政的なもの以外に、細かい厄介ごとが集中し、あっという間に、元の心理状態に戻ってしまった。
ただし、ADHDの治療は効果があり、注意欠陥の減少はありがたく思う。
憂うつで、なかなか手がつけれない、緊急対応が入る。以前はここでパンクしていたが、焦るという事が減った。
常にあった焦りやガサガサ感が少なくなった。これだけは薬が効いている。いや、鬱も薬で相当改善してるはずだ。
だが、自我状態に気づき、それに基づき、解決を試みようとおもうけd、その時点で、逃げ出したく案るし、ずっと自殺願望も復活している。
盆は休めたし、パワースポット巡りもよかった。明けて、忙しいが、相当なスローテンポであってもいろいろ処理はできているが、とにかく憂鬱感で支配され、気持ちが上がらない。堂々巡りだが、そこで、自問する。それが今の自我状態だと気づいてるよね?。本当は大したことではないよね?焦りもないし、向上心はないけど、向き合うことはできる。それでいいんじゃない?と。
それでも気持ちが上がらないが、自分の悪い自我状態に気づく。実はそれこそが、大切なことでは?と思うものだ。