どんなことでも重い、食事やトイレも。
しかし、なんだかんだで、やるべくことは出来てはいる。
部屋や事務所が一時は片付いたが、ここ数か月、まただらしなくなっている。
いや、身の周りは整理出来るんだが、ゴミや到着物が多く、処理しきれないのが言い訳。
昨日も、今日も、概ね、やるべくことは出来てはいるんだが、エネルギーが倍かかるような重さだ。
ここのところ、20年前に勤務していた会社の関係者から、依頼ごとがあり、小さな仕事だが、いくつか、出てきている。
ここ数年、仕事をさせて頂いている、地元の農家。また、提案ごとを頂いている。
うまくとれば、20年前のこともそうだが、まじめにやっていたから超えかかると思ってもよい。
喜ばしいことだ。なのに、それも喜ばしいことに思えない。まあ、そういうとこだと、感情には触れないがよいでしょう。
いまも、やりきれず、放置していたクライアントが涼しげな顔で依頼ごとに見えた。ずっと溜めていたことを切り出すと。ああ、あなたの考えわかったるから大丈夫。それは時期も悪いしやめましょう。なんかホットした。
つまり、難題でないことを重く取り、喜ばしいことも、逆に考える。気持ちもちぐはぐで、素直に受け止められないんだね。
正直、キャパオーバーに再び陥ってるのは確か。どうにかはなるんだろうが、良くなってきた心身が、また落ちたことに悔しくてね。防御はしていたんだけど、想定外のことも起きて。
以前なら、想定外の-要因が発生しても、+のスポットも出るもの。それが、今年は予想通り、宜しくない。
ここにきて、少し仕事の動きも出てきたが、慢性化する鬱に、気持ちが上がらないのは悔しい。